親子関係をさかのぼる話を書いたら、思いのほか反響があり、「うちはこんなだったな…」
と、自分の身を振り返ってかいつまんで伝えてくれた友人が何人かいた。
改めて、ありがとうございます。
そういった「生の声」を聞かせてもらったり、本やネットの掲示板を読んだりしていると、
全員とは言わないが、実に多くの人が、大なり小なり何らかの寂しさや傷を抱えながら、
それと一緒に生きているんだな、ということがわかってくる。
そうやって、折り合いつけて乗り越えて前に進んでゆける人と、事あるごとにつまづいて
しまう人と、どこに違いがあるのだろう。
親や過去のせいにばっかりしていては、何も変わらないんじゃない?という意見もわから
なくもない。健気に這い上がれる人がたくさんいるのもわかる。
単純に、受けた傷の深さや状況の悲惨さと関連するのかとも思うが、状況の受け止め方や
持って生まれた気質によるところもあるかもしれない。
友人のひとりに、私の母の無関心エピソードをいくつか披露したところ、唖然としつつ、
「でも、ちゃんとやってくれてたんじゃないの?5時起きでお弁当作ってたって言ってた
じゃない。」と。
うん、さすがに子どもの食事の支度はやってくれていた。それすら放棄されたら、保護を
求めてどこかに駆け込むレベルかも…。そこまで極悪ではなかった、ってだけのこと。
衣食住には事欠いてなかったし、進学も下宿も旅行もさせてもらえたけど、それでもなお
何かが絶対的に欠けていたと感じてしまうことは、おかしいかな?
今の今まで忘れていた。
『自分を好きになる本』という本をもらったこと。
いろいろな歪みが噴出した学生時代、抑うつ症で一時休学したことがあるのだが、その際も
「そばにいたら共鳴して(?)引きずられるから」と、最低限の食事の用意と通院付き添い
以外はノータッチ、コミュニケーションはほとんどなかった。
受診の後になぜだかポロポロ泣けてきたときも、小さいタオル一枚手渡されただけ。
温かい言葉も包容もあったもんじゃない。
(初夏〜夏だったから、暑苦しかったのかな?…なんて好意的に捉えてみたり ^^;)
そんな母にも、というか、そんな母だったからこそ、私の自己肯定感が低いこととそれが
育ちに起因することは痛いほどわかっていたのだろう。で、『自分を好きになる本』。
振り返ってみれば、ぶっちゃけ、あんま沁み入ってこなかった…。
例えて言うなら、インフルで寝込んでいるのに、「ここに雑炊の材料あるからね(自分で
作ってちょ)」とアッサリ言われるような。
買ってきてくれたことはありがたいですよ、でも…的な。
本当は、どんなによく書けた本よりももっとうんと効きそうなものがあったんだ。
理解と慰めの一言とか、肩や背中をたったひと撫でとか…。
(あのN先生が瞬時に察知して与えて下さったようなもの…。)
でも、母にはどう頑張っても与えられなかったんだろう。
母自身もつらい時期だったろうし(あなたよりお母さんの方が入院した方がいいですよ!
と医者に言われた)、そう割り切って、受け止めてもらえなかったことを許すもよし、
許さないもよし。自分の中で折り合いさえつけられれば、先に進んで行ける、のかな。
「欠落した部分にフォーカスするのはどうかな? 足りないものじゃなく、今あるものに
意識を向けようよ」という声もある。
それもわかる、わかるんだよ…。子どもがいなかった時は、そんな感じでだましだまし、
どうにかいけてたんだ。
でも、我が子を目の前にして、まさか同じことを反芻してしまうのか…?という恐怖に
さらされたら、そうなる前に解明しないと!!と、切羽も詰まるってもんです。
「自分を育てよう」なんてさらっと書いちゃったけど、我が子の子育て同様、一筋縄には
いかないなー。
デジカメ本体のメモリーから、すんごい前の写真が出てきた。こまめ2才。
「ぽや〜んとしつつも、きかん気が強い」という気質がすでに表れてますな。
2013年7月15日月曜日
2013年7月6日土曜日
自分を育てる
最後の登校日ということで、やたら感傷的になっていた今日。
最後のお弁当は、おにぎりと、シソ入りつくね。
朝の全校集会で、校歌を歌うこまめを見た。私も大好きな、たんぽぽの歌。
顔を上げて大きな口を開けて、2番まできっちり歌いきった。
極度に恥ずかしがって皆の前で挨拶はできなかったけど、いっぱい学んで成長したって
ことは十分伝わってきた。
親が口うるさく言わなくても、残るものは残る。
朝礼の後、ウルウルしながらホールで感慨に浸っていたら、ある女の先生がこちらの方へ
近づいて来られた。こまめは一度も受け持ってもらったことのない先生。
ごまめが参観日の朝礼に混ざろうとした際に、「ごまめちゃん、どうぞどうぞ」と快く
列に招き入れてくださったことがあり、「やさしい先生だなー」と印象に残っていた。
今朝も、受け持ちの子どもたちの背中をさすってやったり肩にそっと手を置いたりして、
からだでも実感できるようなやり方で「そばにいる」「先生は、ちゃんと見ている」と
いうことをさりげなく伝える姿を見かけて、心を動かされたばかりだった。
その先生が、突然、「ごまめちゃんのお母さんですよね?」と。
なんと、お知り合いにここのことを聞いて、記事を読んで下さったらしい。
「お母さんのお気持ち、分かりますよ。」と言って、そっと抱いて下さった。
その瞬間、私の涙腺は決壊。何かがどっと解き放たれた気がした。
先生も目に涙をためていらした。
二言三言、どんな言葉を交わしたか、ハッキリは覚えていない。
ほんのわずかな時間(実際、1分もなかったんじゃないかな??)のことだったけれど、
でも、本当の意味で受け止めてもらえたと確信するには十分な時間だった。
私が一番欲しかったもの、
今までもらったことのなかったものを、
一番欲しい時に、ちゃんともらえた。
それまで言葉も目線も交わしたことすらないひとから、突然与えられた、受容の実感。
どんな本より、どんな正論より、何よりも心の核(さね)に直に届いた。
受け入れられ、認められ、慰められるって、こんな感じだったんだ!
まるで雷に打たれたようだった。
友達や恋人やパートナーのくれるものと、全然ちがう。
私はこれが、欲しかったんだ。
本当は、自分の、親から。
この感じ、この包容を、こまめにも与えられるようにならないといけない。
この気付きに至るために補習校に通っていたのか。
そう思ってしまうほど、カチリとはまった最後のピースだった。
「育児は育自」という言葉がある。
誰だって、最初は初心者。母親として、子どもと一緒に成長してけばいいんだよ…という
捉え方で、赤ちゃんとの暮らしが始まったばかりの頃から、なんとなく心の片隅に置いて
きた考え方だった。
今になって、ふと思い至った。
自分の場合、言葉通りの「育自」をしたらいいんだな…と。
つまり、子育てしながら、子ども時代に子どもとして生きられなかった自分を、
もう一度育て直せばいいんだ。
誰かを親代わりにするのでも、我が子を自分の身代わりとして育てるのでもなくて、
子どもの頃の自分に欠けていたものを、必要だったのに与えられなかったものを、
自分の手で埋めて行く作業なんだな、ということが、やっとやっと、やっとわかった。
N先生、こんなにも大切な気付きを、ありがとうございました。
自分を変える必要はない(というか、ちがう自分になんかなれやしない)けれど、
自分の軌跡はこれで変えられるかもしれない、と、少し希望が持てました。
車の中で、偶然かかっていた曲。
♪ サヨナラから はじまることが たくさん あるんだよ…
最後のお弁当は、おにぎりと、シソ入りつくね。
朝の全校集会で、校歌を歌うこまめを見た。私も大好きな、たんぽぽの歌。
顔を上げて大きな口を開けて、2番まできっちり歌いきった。
極度に恥ずかしがって皆の前で挨拶はできなかったけど、いっぱい学んで成長したって
ことは十分伝わってきた。
親が口うるさく言わなくても、残るものは残る。
朝礼の後、ウルウルしながらホールで感慨に浸っていたら、ある女の先生がこちらの方へ
近づいて来られた。こまめは一度も受け持ってもらったことのない先生。
ごまめが参観日の朝礼に混ざろうとした際に、「ごまめちゃん、どうぞどうぞ」と快く
列に招き入れてくださったことがあり、「やさしい先生だなー」と印象に残っていた。
今朝も、受け持ちの子どもたちの背中をさすってやったり肩にそっと手を置いたりして、
からだでも実感できるようなやり方で「そばにいる」「先生は、ちゃんと見ている」と
いうことをさりげなく伝える姿を見かけて、心を動かされたばかりだった。
その先生が、突然、「ごまめちゃんのお母さんですよね?」と。
なんと、お知り合いにここのことを聞いて、記事を読んで下さったらしい。
「お母さんのお気持ち、分かりますよ。」と言って、そっと抱いて下さった。
その瞬間、私の涙腺は決壊。何かがどっと解き放たれた気がした。
先生も目に涙をためていらした。
二言三言、どんな言葉を交わしたか、ハッキリは覚えていない。
ほんのわずかな時間(実際、1分もなかったんじゃないかな??)のことだったけれど、
でも、本当の意味で受け止めてもらえたと確信するには十分な時間だった。
私が一番欲しかったもの、
今までもらったことのなかったものを、
一番欲しい時に、ちゃんともらえた。
それまで言葉も目線も交わしたことすらないひとから、突然与えられた、受容の実感。
どんな本より、どんな正論より、何よりも心の核(さね)に直に届いた。
受け入れられ、認められ、慰められるって、こんな感じだったんだ!
まるで雷に打たれたようだった。
友達や恋人やパートナーのくれるものと、全然ちがう。
私はこれが、欲しかったんだ。
本当は、自分の、親から。
この感じ、この包容を、こまめにも与えられるようにならないといけない。
この気付きに至るために補習校に通っていたのか。
そう思ってしまうほど、カチリとはまった最後のピースだった。
「育児は育自」という言葉がある。
誰だって、最初は初心者。母親として、子どもと一緒に成長してけばいいんだよ…という
捉え方で、赤ちゃんとの暮らしが始まったばかりの頃から、なんとなく心の片隅に置いて
きた考え方だった。
今になって、ふと思い至った。
自分の場合、言葉通りの「育自」をしたらいいんだな…と。
つまり、子育てしながら、子ども時代に子どもとして生きられなかった自分を、
もう一度育て直せばいいんだ。
誰かを親代わりにするのでも、我が子を自分の身代わりとして育てるのでもなくて、
子どもの頃の自分に欠けていたものを、必要だったのに与えられなかったものを、
自分の手で埋めて行く作業なんだな、ということが、やっとやっと、やっとわかった。
N先生、こんなにも大切な気付きを、ありがとうございました。
自分を変える必要はない(というか、ちがう自分になんかなれやしない)けれど、
自分の軌跡はこれで変えられるかもしれない、と、少し希望が持てました。
車の中で、偶然かかっていた曲。
♪ サヨナラから はじまることが たくさん あるんだよ…
2013年6月30日日曜日
うしろを向いたり 前を見たり
こまめが日本語の勉強(補習校の宿題)をいやがるようになったのは、日本式の学習法が
はじめは、自分によく似た子だからこんなにぶつかるのかな?と思っていた。
(ごまめとは衝突しないので)
もちろんそれにも一理あるだろう、でも、どうもそれだけではなさそう。
合わないからだろう、と書いた。
でも、そこには別の問題もひそんでいると考えている。
「これをやることに決まってるんだから、ちゃっちゃとやりなさい」と、こまめの興味も
ペースもその日の気分や体調もそっちのけで押し付けてくる(…ようにこまめの目には
映っていただろう)母の姿は、決してうれしいものではなかっただろう。
極力穏やかになだめたり、冷たく突き放したり、あの手この手で衝突を回避しようとする
ものの、堪忍袋の緒が切れて声を荒げてしまう…ということもちょいちょいあった。
ものの、堪忍袋の緒が切れて声を荒げてしまう…ということもちょいちょいあった。
はじめは、自分によく似た子だからこんなにぶつかるのかな?と思っていた。
(ごまめとは衝突しないので)
もちろんそれにも一理あるだろう、でも、どうもそれだけではなさそう。
ふと、自分の発する言葉の端々に、思い出したくもない過去、自分の育った環境のことが
蘇って、不安になった。
蘇って、不安になった。
あの冷たい視線、自分を責める視線。怒りでいっぱいの、見開いた目。
自分も、あの母と同じようにしてしまっているのではないか…?
子育てをしていて、「ああ、母も当時はこんな気持ちだったのかなあ」と、自分と母を
重ねて見ることはこれまでもあった。
赤ちゃんのこまめを抱いている時、ごまめの無邪気さに目を細める時…。
もちろん、いい時ばかりじゃなく、困ったなあと手こずる時にも。
そうやって想像していて、うっすらと、徐々に分かってきたことがある。
自分は、かなり、放ったらかしにされていたのだな、ということ。
あれは、放任主義という名の放置だったのでは…?
何かを一緒にしたり、褒められたりした記憶がない。
抱かれたり、撫でられたり、手をつながれたりした記憶もない。
今日にいたるまでの無関心を証明するようなことばかりがポロポロと思い出される。
自分の数々の欠点のすべてを親のせい・家庭環境のせいにはできないとは思うけれど、
このなんともいえない「生きにくい感じ」の根源のひとつではあると思う。
家に寄り付かなかった父と病的に不安定な母とのコンボで、自信を持って歪まず健全に
育てという方がムリってもんだ。
それでも今まで、まっとうな社会人とは程遠いかもしれないが、何とかやってこられた。
自身にあの冷たい毒の連鎖の前兆を見るまでは。
ただ、救いは、こまめは私とはちがうということ。当たり前だが。
自分の思い通りにいかないと非常に不機嫌になり子どもに当たり散らす母のもとで
機嫌をうかがい、家庭ではひっそりと且つ勝手に生きることを覚えた私とちがって、
不満→爆発というわかりやすいサインを、比較的早い時期に出してくれている。
不満→爆発というわかりやすいサインを、比較的早い時期に出してくれている。
これを見逃してどうする。
…とまあ、そんなこんなも、こまめをいったん補習校とその課題・それに関わる母の姿
から切り離して、好きなこと・やってみたいことに熱中させた方が良いかも、と思った
きっかけ。
から切り離して、好きなこと・やってみたいことに熱中させた方が良いかも、と思った
きっかけ。
2013年6月29日土曜日
子のなかにひそむ天分
こまめの補習校通いは今学期限り、ということになった。
補習校での可能性、補習校以外での可能性、
現地校( モンテッソーリ小学校)の伸ばし方との兼ね合い、母子関係、などなど、
色々な側面から考慮した結果だ。
そもそも、家庭で楽しく始めた取り組みが、補習校という流れに乗ることでどう変わるか、
不安を抱えつつのスタートだった。
学校生活の楽しさはありつつも、お仕着せの(そして大量の)課題を負担に感じるこまめと、
ただただその課題を遂行させる係のようなものになり下がっていた自分に違和感も感じていた。
(お上に納める年貢米を取り立てるお代官様の気分というか…。ある意味、主体性がどこにも
なかったといえる)
現在の担任の先生のやり方には共感することが多いのだが、こまめの場合、個々の先生の
アプローチがどうこうではなく、「 日本式の学校教育」という枠がもはや肌に合わないのだ
と結論づける他はない。
スムーズにいくこともあるとはいえ、 泣いたり怒ったりしていやがることが頻繁にあると
いうのは、 やはり学習法が合っていないのだろう。
いやいやながら続けたところで、 技術はそこそこ身に付くかもしれないが、 気持ちのこもら
ない技術習得が果たして私たちの望むところか? というと、やはりそうではない。
日本にいてこのような学校が当たり前の環境だったら、 適応するだけの力量はこまめには
あると思う。
ただ、今ここでベースとなっている学校生活が「自律・自立」 をモットーに個々を伸ばす
ことに主眼をおいているので、文字しかり、文章の作法しかり、まず型を習得することに
多大な時間と労力をかける日本式とは相容れず、幼い心中に価値観の摩擦が生じ、 折々に
炸裂してしまうのだと思われる。
どちらが正しいとかベターだとかいうことでなく、ただあまりにも相反するのだ。
ちなみに、モンテッソーリ式のやり方にはよく馴染んでいる様子で、縦割りクラス内での
緩やかな飛び級を示唆されたりもした。
母としてはせっかちに急ぐつもりは微塵もないが、ちょっと先に進んでみれば?というのが
可能な環境なのだ。
そのような特殊な小学校をあえて選んだのは、私の頭の片隅に日本式の学校教育に対する
疑問が多少なりともあったからではないか。
自分のような「指示待ち」「顔色伺い」「流され体質」にはなってほしくない、 という希望も
あったのではないか。
「自分で選びとって築いてゆけるように」と願いつつ、その一方で「これこれのやり方を
なぞるように」とマニュアルからはみ出さない従順さを強要していたのでは、支離滅裂と
言われても仕方がない。
相容れない世界観のいいとこ取りをしようとしてこまめを混乱に陥れていたのは、母である
私自身だったというわけ。
始めたことを途中で投げ出すようで、 その点は気がひけるのだが、続けること( 継続という
状態そのもの)に固執するあまり、こまめ本来の輝きを曇らせたり見失うことになっては
本末転倒だと 思い至った。
たまたま手に取った、敬愛するおじいちゃん先生の著書に、こうあった:
「教育が、人間のなかにひそんでいる天分をみつけだし、 そだてる事業であるとすれば、
欠陥のある子ほど、 教育者は熱意をもってむかわねばなりません。
家庭教育の責任者である親は、 その点では教育者の資格を十分そなえています。」
「どんな子にも天分はあるのだ、 それをみつけてやれないのは教育の力がたりないのだ」
こまめの天分ってなんだろう、と思いを巡らせた時、それを開花させるのは補習校ではない
だろうし、このまま通い続けていたらしぼんでしまうようなものかもしれない…という結論に
至ったのだった。
来週が、最後の授業。
いろいろな世界があることを知ってもらう意味では、得難い体験だった。
2年間迷いながら通わせたことが、この先どう響いてくるかは、ずっと先にならないと
わからないだろう。
様々な状況の中、ずっと通い続ける人たちのことは、もちろん応援している。
また、色々な事情で通うことをやめてしまった人たち、
最初から通うという選択肢のなかった人たち、
日本語を教えるということすらかなわぬ状況の人たち、
みんなみんな、それぞれの親と子のつながりが、健やかでありますように。
毛布のようにあたたかく、慈雨のようにうるおい、滋養に満ちたものの中で、子が育って
ゆけますように。
もし今がそうでないなら、そうなってゆきますように。
補習校での可能性、補習校以外での可能性、
現地校(
そもそも、家庭で楽しく始めた取り組みが、補習校という流れに乗ることでどう変わるか、
不安を抱えつつのスタートだった。
学校生活の楽しさはありつつも、お仕着せの(そして大量の)課題を負担に感じるこまめと、
ただただその課題を遂行させる係のようなものになり下がっていた自分に違和感も感じていた。
(お上に納める年貢米を取り立てるお代官様の気分というか…。ある意味、主体性がどこにも
なかったといえる)
現在の担任の先生のやり方には共感することが多いのだが、こまめの場合、個々の先生の
アプローチがどうこうではなく、「
と結論づける他はない。
スムーズにいくこともあるとはいえ、
いうのは、
いやいやながら続けたところで、
ない技術習得が果たして私たちの望むところか?
日本にいてこのような学校が当たり前の環境だったら、
あると思う。
ただ、今ここでベースとなっている学校生活が「自律・自立」
ことに主眼をおいているので、文字しかり、文章の作法しかり、まず型を習得することに
多大な時間と労力をかける日本式とは相容れず、幼い心中に価値観の摩擦が生じ、
炸裂してしまうのだと思われる。
どちらが正しいとかベターだとかいうことでなく、ただあまりにも相反するのだ。
ちなみに、モンテッソーリ式のやり方にはよく馴染んでいる様子で、縦割りクラス内での
緩やかな飛び級を示唆されたりもした。
母としてはせっかちに急ぐつもりは微塵もないが、ちょっと先に進んでみれば?というのが
可能な環境なのだ。
そのような特殊な小学校をあえて選んだのは、私の頭の片隅に日本式の学校教育に対する
疑問が多少なりともあったからではないか。
自分のような「指示待ち」「顔色伺い」「流され体質」にはなってほしくない、
あったのではないか。
「自分で選びとって築いてゆけるように」と願いつつ、その一方で「これこれのやり方を
なぞるように」とマニュアルからはみ出さない従順さを強要していたのでは、支離滅裂と
言われても仕方がない。
相容れない世界観のいいとこ取りをしようとしてこまめを混乱に陥れていたのは、母である
私自身だったというわけ。
始めたことを途中で投げ出すようで、
状態そのもの)に固執するあまり、こまめ本来の輝きを曇らせたり見失うことになっては
本末転倒だと
たまたま手に取った、敬愛するおじいちゃん先生の著書に、こうあった:
「教育が、人間のなかにひそんでいる天分をみつけだし、
欠陥のある子ほど、
家庭教育の責任者である親は、
「どんな子にも天分はあるのだ、
こまめの天分ってなんだろう、と思いを巡らせた時、それを開花させるのは補習校ではない
だろうし、このまま通い続けていたらしぼんでしまうようなものかもしれない…という結論に
至ったのだった。
来週が、最後の授業。
いろいろな世界があることを知ってもらう意味では、得難い体験だった。
2年間迷いながら通わせたことが、この先どう響いてくるかは、ずっと先にならないと
わからないだろう。
様々な状況の中、ずっと通い続ける人たちのことは、もちろん応援している。
また、色々な事情で通うことをやめてしまった人たち、
最初から通うという選択肢のなかった人たち、
日本語を教えるということすらかなわぬ状況の人たち、
みんなみんな、それぞれの親と子のつながりが、健やかでありますように。
毛布のようにあたたかく、慈雨のようにうるおい、滋養に満ちたものの中で、子が育って
ゆけますように。
もし今がそうでないなら、そうなってゆきますように。
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