3月のある日、統一地方選挙の投票券が送られてきた。
初めてのことで、少なからず浮かれてしまう。
私はこの地では外国人(=国籍は日本のまま)なのだけれど、一定の条件をクリアすれば
投票権が得られるとは聞いていた。いつの間にか自分もその中に迎え入れられたらしい。
市政レベルとはいえ、まったく疎い。とことん無知。
「各地の投票ガイド」なるサイトを教えてもらったので、やってみた。
リストの中から居住する市を選んだら、後はその地域関連の質問に答えて行く仕組み。
「市内の温室ゾーンに合法大麻の栽培施設を作るのはアリ?」
「近所迷惑甚だしい人を市の外縁部に隔離して住まわせることについてはどう思う?」
「うちの市に売春業ができても良い?」
「隣市の地方空港の拡大については賛成?反対?」
「8年後に当地で開催予定の園芸博についてはどう思う?」
…などなど。
回答を終えたら、「アナタにぴったりの政党はこちら!」とダイアグラム上で教えてくれる。
軸線は「左/右」と「革新/保守」。
自分はすごい左寄りだと思い込んでたのだけど、この方式だとド真ん中のちょっと右寄りと
いう御宣託が出た。意外。
で、そんなこんなの話を、家のお父ちゃんはもとより、親戚やらお隣の老夫婦との茶飲み話に
するわけ。かな〜りオープンな雰囲気。
日本だと、支持政党やら購読してる新聞やら信仰についての話はなんとなくタブーっぽい
雰囲気で、こうやって気楽に意見を聞いたりすることはなかったので、新鮮に感じた。
さて、投票日。
何よりも衝撃的だったのが、投票ブースの張り紙。
「鉛筆をなめないで下さい」
…………。
bevochtigen(湿らせる)なんて新単語、覚えちゃったじゃないか!
笑顔で記念写真撮らせてもらえるくらいにはお気楽な雰囲気。
それにしても、この投票箱、ゴミ用コンテナと同じなんですけど。
回収車によって裁断されるイメージしか浮かばない… ^^;
2014年3月19日水曜日
2014年1月18日土曜日
Aちゃんのおよめさん
ごまめの夢にまたAちゃんが出てきたらしい。
Aちゃんというのは、ごまめのクラスにいる年上の女の子で、小さい子が大好きで世話焼き。
ごまめのこともしょっちゅうかまってくるらしい。
過剰な抱っこやチューはどうかと思うが、着替えの手伝いなどいろいろ力になってくれる
ようで、ごまめも懐いている。
しばらく前、おもちゃの電話でAちゃんと架空の通話(オランダ語)をしていた。
ごまめ「ごめんね、わたしもAちゃんとけっこんしたいんだけど、できないの。
デイヴィ(赤ちゃん人形)のおせわしないといけなくって…。
そのかわり、おとまりだったらきていいよ!」
シングルマザーの心意気ですか。
こまめ「女の子どうしで結婚だって〜(嘲笑)」
母「ところがどっこい。できちゃうんですよ、ここオランダでは。男の子どうしもね。」
こまめ「ホント?!…………(絶句)」
母「ちなみに私は、この子たちの同性婚アリ派。」
父「オレも。でも、孫は絶対欲しいから、ドナーは探してこないと!」
(そこは決定済みかい…)
てなわけで、義理の息子ならぬ義理の娘ができる可能性もある、というお話。
キメポーズ。
Aちゃんというのは、ごまめのクラスにいる年上の女の子で、小さい子が大好きで世話焼き。
ごまめのこともしょっちゅうかまってくるらしい。
過剰な抱っこやチューはどうかと思うが、着替えの手伝いなどいろいろ力になってくれる
ようで、ごまめも懐いている。
しばらく前、おもちゃの電話でAちゃんと架空の通話(オランダ語)をしていた。
ごまめ「ごめんね、わたしもAちゃんとけっこんしたいんだけど、できないの。
デイヴィ(赤ちゃん人形)のおせわしないといけなくって…。
そのかわり、おとまりだったらきていいよ!」
シングルマザーの心意気ですか。
こまめ「女の子どうしで結婚だって〜(嘲笑)」
母「ところがどっこい。できちゃうんですよ、ここオランダでは。男の子どうしもね。」
こまめ「ホント?!…………(絶句)」
母「ちなみに私は、この子たちの同性婚アリ派。」
父「オレも。でも、孫は絶対欲しいから、ドナーは探してこないと!」
(そこは決定済みかい…)
てなわけで、義理の息子ならぬ義理の娘ができる可能性もある、というお話。
キメポーズ。
2013年4月25日木曜日
思いがけないプレゼント
ごまめが、幼稚園から絵本をもらってきた。
市内の幼稚園に通う幼児全員に、市&図書館からのプレゼントだそうな。
熱心でない人もいるので、そういった家庭も対象に含まれる。
…というわけで、全員プレゼントと相成ったようだ。
絵本好きにはうれしいサプライズ♪♫
しかも、何冊もあるうさこちゃん絵本とはかぶってなかったので、ラッキー☆
市の教育課「よりよい読み書き」サイトによると、市内の18〜65才のうち、
その対策のひとつが、私も通った「移民のための市民化講座」だが、きっとその成果は
投資ほどには上がっていないのだろう。
家庭で話されるのが外国語オンリーでは、親&子のどちらの世代も、オランダ語の力が
追いつかなくて当たり前。そこをなんとかするために、小さい頃から親子で楽しい読書の
習慣を…とのキャンペーンだろうと想像がつく。
日本でも若者の「ら」抜き言葉がどうの、言葉の乱れがどうのという議論はあるが、
日本語そのものを理解しない層が爆発的に増えたら…?という不安は、現在のところは
ないのではなかろうか。
「社会のシステムが機能しなくなる不安」のタネが、少子高齢化とはまた別のところでも
根を深く張りつつある、とある欧州の国でのお話。
〈余談〉
このキャンペーンを予告する地元新聞の記事のコメント欄の議論がとても興味深いので、
オランダ語の読める人は読んでみて下さい。(下から順に読み進めるようです)
(…これが読めてるってことは、まあセーフってことなのか)
(で、さらに返信までできちゃうと、完全にイケテル!ってことかしらね)
市内の幼稚園に通う幼児全員に、市&図書館からのプレゼントだそうな。
オランダ語の絵本の読み聞かせを推奨して、懸案の「オランダ語力の底上げ」を図ろうと
いう試みらしい。
絵本は、定番中の定番『うさこちゃん』シリーズの中から『うさこちゃんとニナ』。
遠い国から飛行機に乗ってやってきた茶色いおともだち「ニナ」とのふれあいのお話。
「おなかみせてー」
異文化の民との接触・共存を象徴した、ほほえましいストーリーともいえる。
もちろん、移民家庭だけでなく、生粋のオランダ人でも、読み聞かせや言葉の習得にあまり熱心でない人もいるので、そういった家庭も対象に含まれる。
…というわけで、全員プレゼントと相成ったようだ。
絵本好きにはうれしいサプライズ♪♫
しかも、何冊もあるうさこちゃん絵本とはかぶってなかったので、ラッキー☆
以下、絵本に同封されていたお便り。
- - - - - - - - - - - - -
保護者各位
市立図書館/ディック・ブルーナ/当市より、こちらの絵本を進呈いたします。
ご存知でしたか?
オランダで読み書きに困難を感じる人は、150万人にものぼるのです。
これは、皆様と一体となって取り組むべき課題といえます。
皆様のご家族、ご友人や知人の中にも、読み書きに困難を感じるという方がおられるかも
しれません。
そう感じること自体は決しておかしなことではないし、そしてまたそう感じるのはあなた
ひとりではないのですよ、ということを、どうかお伝え下さい。
改善のために何かしら取り組んでみることはできるのです!
ご自身の語学力にさらに磨きをかけたい、ということもあるかもしれません。
語学講座のお問い合わせは、通話無料の「0x00-xxxxxx」へ是非お電話下さい。
読み書き能力の向上のための指導ボランティアとして登録していただくこともできます。
皆様がたのお力添えをぜひ賜りたく存じます。
詳細は、こちら:(市のホームページの中の特設ページURL)
それでは、『うさこちゃんとニナ』を、お子様とご一緒にお楽しみ下さい。
絵本を囲む楽しいひとときを過ごされますよう、お祈り申し上げます。
○○市・市立図書館
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保護者各位
市立図書館/ディック・ブルーナ/当市より、こちらの絵本を進呈いたします。
ご存知でしたか?
オランダで読み書きに困難を感じる人は、150万人にものぼるのです。
これは、皆様と一体となって取り組むべき課題といえます。
皆様のご家族、ご友人や知人の中にも、読み書きに困難を感じるという方がおられるかも
しれません。
そう感じること自体は決しておかしなことではないし、そしてまたそう感じるのはあなた
ひとりではないのですよ、ということを、どうかお伝え下さい。
改善のために何かしら取り組んでみることはできるのです!
ご自身の語学力にさらに磨きをかけたい、ということもあるかもしれません。
語学講座のお問い合わせは、通話無料の「0x00-xxxxxx」へ是非お電話下さい。
読み書き能力の向上のための指導ボランティアとして登録していただくこともできます。
皆様がたのお力添えをぜひ賜りたく存じます。
詳細は、こちら:(市のホームページの中の特設ページURL)
それでは、『うさこちゃんとニナ』を、お子様とご一緒にお楽しみ下さい。
絵本を囲む楽しいひとときを過ごされますよう、お祈り申し上げます。
○○市・市立図書館
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市の教育課「よりよい読み書き」サイトによると、市内の18〜65才のうち、
約12,000人がオランダ語の読み書きに困難を感じているとのこと。
自分の場合、必要とあらばそこそこの読み書きも、また、各種手続きなどもある程度は
できるけれど、まったく問題ないで〜すとカラッと言い切る自信はない。
1万2千人のうちの立派な1人かも…。
まあ一応オランダ語の国家試験の証明書(英検みたいなもの)はあるけど、だからって
得意かっていうと……(モニャモニャ)
移民社会の端的な問題のひとつがこの国語力の深刻な低下だ。できるけれど、まったく問題ないで〜すとカラッと言い切る自信はない。
1万2千人のうちの立派な1人かも…。
まあ一応オランダ語の国家試験の証明書(英検みたいなもの)はあるけど、だからって
得意かっていうと……(モニャモニャ)
その対策のひとつが、私も通った「移民のための市民化講座」だが、きっとその成果は
投資ほどには上がっていないのだろう。
家庭で話されるのが外国語オンリーでは、親&子のどちらの世代も、オランダ語の力が
追いつかなくて当たり前。そこをなんとかするために、小さい頃から親子で楽しい読書の
習慣を…とのキャンペーンだろうと想像がつく。
日本でも若者の「ら」抜き言葉がどうの、言葉の乱れがどうのという議論はあるが、
日本語そのものを理解しない層が爆発的に増えたら…?という不安は、現在のところは
ないのではなかろうか。
「社会のシステムが機能しなくなる不安」のタネが、少子高齢化とはまた別のところでも
根を深く張りつつある、とある欧州の国でのお話。
〈余談〉
このキャンペーンを予告する地元新聞の記事のコメント欄の議論がとても興味深いので、
オランダ語の読める人は読んでみて下さい。(下から順に読み進めるようです)
(…これが読めてるってことは、まあセーフってことなのか)
(で、さらに返信までできちゃうと、完全にイケテル!ってことかしらね)
2013年3月6日水曜日
小さな宗教観
気候がマイルドになってきたので、再び近所の子と公園で遊ぶようになった。
昨夏に出会って以来すっかり仲が良くなった2つ下のAちゃんと、公園のすぐ横のおうちの
Jくん(2つくらい上かな)と、何やら議論になったらしい。
Jくん「神さまなんかいないよ。いるわけない。」
Aちゃん「そんなことない!そういうこと言うと、ばちが当たるよ。雷バシャーン!って。」
こまめ「私は…どっちだかわからない。」
…模範的ともいえる、非常に日本人的回答ですな、こまめ(笑)
「Aちゃんは神さまが世界を作ったって言ってたけど、私はビッグバンだと思う。」
とも言っていた。
で、母からも少しお話。
Opa(おじいちゃん)も教会に行ってるよね。Aちゃんちの神さまとおんなじ神さま。
神さまだけが本物だ、あとのはダメ!ってケンカふっかけてくる人もいる。
お母さんはどう思ってるかっていうとね…
石とか森とか海とか風とか空とか、いろんなところに神さんがひそんでて、だから神さんは
たくさんいて、でも人の形はしてないんだ。
人の力を超えた何か不思議な力を神さんって呼んでるだけ。
で、毎日おいのりしたりはしないけど、そういう不思議なものってあるんだろうなーとは
思ってる。
世界の始まりはビッグバンだって思ってる人もいる。
お母さんもそう習ったしそうかなーって思ってるけど、実は誰も本当のことは知らない。
誰も本当には見たことないからね。
だから、神さまが作ったっていう人もいるし、始まりも終わりもなくてずーっとグルグル
まわってるって思ってる人もいる。いろいろだね。
…ってな感じ。
こまめの小学校では宗教の授業というのはなかったと思うが、こういうちょっと哲学的な
話は(私が)好きなので、大きくなったらいろいろ掘り下げて一緒に考えてみたい。
『ソフィーの世界』をネタに議論したりとか、楽しそう…。
今は、科学的な知識を学校で教わって、世界観を形成しつつある時期。
ごまめが「おひさまねちゃったねー」とか言うと、「おひさまは眠らない!」とかマジメに
反論したりするから、どっちも正しいよ(どっちの見方もありなんだよ)と言っている。
真実はひとつではなく、時と所によって変遷するということを知るのは、まだまだ先かなー。
ちなみに父は無神論者の合理主義。
現代科学を信じきっているので、科学的根拠のない話は全て眉唾(ソースを出せ!的な)。
たまに論拠にボロが出たりするので、隙はいっぱいある上、論理的でない言動も多々ある。
ま、人間なんてそんなもの〜☆
インラインスケートの練習。
おっとっと〜!
ごまめはゆる〜くキコキコ。
こんな穏やかさがずっと続けばいいのに、週末からまた真冬のようなお天気だってさ…。
昨夏に出会って以来すっかり仲が良くなった2つ下のAちゃんと、公園のすぐ横のおうちの
Jくん(2つくらい上かな)と、何やら議論になったらしい。
Jくん「神さまなんかいないよ。いるわけない。」
Aちゃん「そんなことない!そういうこと言うと、ばちが当たるよ。雷バシャーン!って。」
こまめ「私は…どっちだかわからない。」
…模範的ともいえる、非常に日本人的回答ですな、こまめ(笑)
「Aちゃんは神さまが世界を作ったって言ってたけど、私はビッグバンだと思う。」
とも言っていた。
で、母からも少しお話。
Opa(おじいちゃん)も教会に行ってるよね。Aちゃんちの神さまとおんなじ神さま。
クラスの友達のRちゃんとかお父さんの会社のUさんちみたいに、アラーっていうまた別の
神さまを信じてる人もいるし、いろいろなんだよ。
で、いろんな神さまがいて、みんな仲良くしようねーっていう人もいれば、うちんとこの神さまだけが本物だ、あとのはダメ!ってケンカふっかけてくる人もいる。
お母さんはどう思ってるかっていうとね…
石とか森とか海とか風とか空とか、いろんなところに神さんがひそんでて、だから神さんは
たくさんいて、でも人の形はしてないんだ。
人の力を超えた何か不思議な力を神さんって呼んでるだけ。
で、毎日おいのりしたりはしないけど、そういう不思議なものってあるんだろうなーとは
思ってる。
世界の始まりはビッグバンだって思ってる人もいる。
お母さんもそう習ったしそうかなーって思ってるけど、実は誰も本当のことは知らない。
誰も本当には見たことないからね。
だから、神さまが作ったっていう人もいるし、始まりも終わりもなくてずーっとグルグル
まわってるって思ってる人もいる。いろいろだね。
…ってな感じ。
こまめの小学校では宗教の授業というのはなかったと思うが、こういうちょっと哲学的な
話は(私が)好きなので、大きくなったらいろいろ掘り下げて一緒に考えてみたい。
『ソフィーの世界』をネタに議論したりとか、楽しそう…。
今は、科学的な知識を学校で教わって、世界観を形成しつつある時期。
ごまめが「おひさまねちゃったねー」とか言うと、「おひさまは眠らない!」とかマジメに
反論したりするから、どっちも正しいよ(どっちの見方もありなんだよ)と言っている。
真実はひとつではなく、時と所によって変遷するということを知るのは、まだまだ先かなー。
ちなみに父は無神論者の合理主義。
現代科学を信じきっているので、科学的根拠のない話は全て眉唾(ソースを出せ!的な)。
たまに論拠にボロが出たりするので、隙はいっぱいある上、論理的でない言動も多々ある。
ま、人間なんてそんなもの〜☆
インラインスケートの練習。
おっとっと〜!
ごまめはゆる〜くキコキコ。
こんな穏やかさがずっと続けばいいのに、週末からまた真冬のようなお天気だってさ…。
2012年10月28日日曜日
オランダに
帰ってきたなーと思う瞬間:
ラップが切れない…。
スキポール空港から家の方への電車に乗ろうとホームで待っていたら、何の説明もなく
次の電車を示す案内版に「○時○分発の△△行きは運行しません。」と出る。
しません、って………。
幸い、同じ方面に行く各駅停車は走っていたので、それに乗れた。
19時台の電車だというのに、ごまめを乗せたバギーを畳むことなく突っ込めたり、青年が
笑顔で席を譲ってくれたり、幼児連れで肩身の狭い思いをしなくてよいのは、ポジティブに
「オランダだ〜」と思う瞬間。バスも同じく。
スーツケース3つ+バギーの乗り降りも、必要以上に気を遣って慌てなくてもいい。
セントラルヒーティングで家の中があったかいのも、寒がりな私にはありがたい。
ため息と共に苦笑したり、イラッとしたり、ホッとしたり。
日本特有の過剰な便利さはないけれど、それなりの良さもある、オランダ暮らしに
おかえり〜ってなわけです。
ラップが切れない…。
スキポール空港から家の方への電車に乗ろうとホームで待っていたら、何の説明もなく
次の電車を示す案内版に「○時○分発の△△行きは運行しません。」と出る。
しません、って………。
幸い、同じ方面に行く各駅停車は走っていたので、それに乗れた。
19時台の電車だというのに、ごまめを乗せたバギーを畳むことなく突っ込めたり、青年が
笑顔で席を譲ってくれたり、幼児連れで肩身の狭い思いをしなくてよいのは、ポジティブに
「オランダだ〜」と思う瞬間。バスも同じく。
スーツケース3つ+バギーの乗り降りも、必要以上に気を遣って慌てなくてもいい。
セントラルヒーティングで家の中があったかいのも、寒がりな私にはありがたい。
ため息と共に苦笑したり、イラッとしたり、ホッとしたり。
日本特有の過剰な便利さはないけれど、それなりの良さもある、オランダ暮らしに
おかえり〜ってなわけです。
2011年12月18日日曜日
こまめ6!
今年は誕生日が日曜日だったので、親戚を招いてのパーティーを同日に開催できた。
お天気は上々とは言いがたかったが、今年は積雪がなく、ホッ。
去年と一昨年の誕生日パーティーは大雪で中止にせざるをえず、2年続けてかわいそうな目に
遭わせてしまったので、今年こそは…とハラハラしていたのだ。
朝、親からのプレゼントの包みを開けるこまめの横で、ワーワー騒ぐごまめ。
自分にもやらせろと…。
無理もない、自分の誕生日・シンタクラースと続いたので、あの楽しさが忘れられないのだ。
「今日はこまめちゃんの誕生日だから」と言ってもわからない。ヤレヤレ。
パーティーは例によってお茶の時間以降なので、午前中にやっておきたいことがあった。
それは、「traktatie(お振舞い)」の準備。
オランダでは、誕生日の人がケーキやちょっとしたお菓子などを周りの人に振る舞う。
学校や幼稚園に通っている子はクラスメートに、お勤めしている人は同僚さんに。
もちろん、プレゼントをもらったり歌を歌ってもらったりして皆から祝ってはもらえるが、
福を配るようなこの習わし、ちょっと「餅ほり」を連想させる。
子どもから大人まで「お誕生日大好き」なオランダ人だが、特に幼稚園や小学校低学年では
その意味合いが大きく、このお振舞いもなかなか凝ったものが配られる。
出来合いのお菓子の小袋を配るだけでは芸がないので、皆さんいろいろ工夫を凝らす。
子どもと一緒に作ったかわいらしい焼き菓子や、華やかな果物の串刺し、あるいは人気キャラ
クターの包装をこしらえたりするわけ。→画像
毎年どんなネタにするか悩むのだが、今年は折り紙でやってみることにした。
日本ではおなじみの「パクパク」。これをひっくり返すと小さな器になるので、そこに小粒の
お菓子を入れる、というもの。アイデアはネットで検索して拾ってきた。
パクパクなら簡単だからこまめにも折れる。見た目もかわいいし、食べてカラッポになったら
遊べるし、コレだ!と。
で、父も巻き込んで量産体勢に突入。
クラスメートと担任の先生の分、それから同学年の他のクラスの先生の分…少し余裕を見て、
合計36個。

パクパクしたら「名前」「6♡」が交互に出るようにしたのだが、結構な手間なので、こまめ
には「6」だけ書いてもらった。

パクパクの立体にして、カップ状になるようにひっくり返したところ。お花畑みたい。
ここに、カラフルなヨーグルトレーズンや白いポップコーンなどを入れる予定。

重ねたらきれいだった。そしてかなり強い。
この状態で持って行って、細かいお菓子はその場で入れることにした。
この後、母は台所にてドタバタ。なんせ14人前…。
シーフードピラフを5合分炊いたら、鍋からあふれんばかりだった。
他、白いスープやモロッコインゲンのおひたし風サラダなど。
さて、パーティー。

おじいちゃん達にもらったお姫様ドレスを着て。
ケーキは例によって父のレアチーズケーキ。
もうひとつ、リンゴのタルトも焼いてくれたのだが、型から外す時に崩壊していた。
例の高血圧の親類に、コーヒー紅茶の代わりに韓国のとうもろこし茶を出してみたら
えらく好評だった。
それにしても、6歳かあ… 大きくなったなあ。
母の脳内ではいつまでも4歳ぐらいのままなんだけど。
2011年9月26日月曜日
即席面談
先の記事の追記である。
今朝の出来事がどうも引っかかっていて、先生の意見を聞いてみたかったのと、補習校の影響
が出ていないかどうかも聞きたかったので、少し時間を割いてもらったのだ。
まず、補習校については、疲労やストレスなどの変調はまったく見受けられないとのこと。
むしろ、低学年クラスの最年長となったことがうれしく自信にも満ちているようだ、と聞いて
大いに安心した。
先生は、その影響を懸念されるどころか、むしろ積極的に知りたい、こまめがイヤでないなら
宿題など是非持参して教室で披露してもらいたい、とまで言って下さった。
このような先生なので、次の質問の答えもある程度予想できたのだが、とにかく聞いてみた。
「日蘭二カ国語で通すに当たって、母の私は徹底して日本語を使っているが、そのことを快く
思わない人もいるかも? 校内ではあまり使わない方がいいですか?」と。
先生は大反対。
むしろ、こまめとの会話で私は絶対に日本語を手放すべきではない、とキッパリ。
クラスには親の一方が非オランダ人という子が何人もいるのだが、オランダ語しか話せず、
外国の祖父母と意思疎通できない子のケースをとても残念に思っているらしい。
生徒のみならず、先生自身の身内にも(欧州内ではあるが)国際結婚したいとこがいたりする
ので、身近なこととして考えられるのだろう。
「仮にそういう(快く思わない)人がいたとしたら、ま、言うてくるでしょ」とおっしゃる
ので、「ええ、正に今朝…」と事の成り行きを説明した。
先生はちょっと面食らっていたようだった。
他人がいても親子の会話を外国語で通す人を無礼者と見なす、そういう考え方をする人のいる
可能性は否定しない。
ただ、その考えを初対面の人に向かって言い放つのは、ちょっとそれはおかしいかも…と。
件のAさんに「失礼なんはおたくですがな★」と即座にツッコめなかったことを、今更ながら
悔やんだり。「どの口が言うてんねん」とか(笑)
先生としては、特定の文化圏の保護者がワッと大勢寄り集まって周りが理解できない言葉で
井戸端会議に花を咲かせたりするのはどうかと思うし、担任と意思疎通することすら困難な
「外国語オンリー」な親はちょっとキビシいが、私がオランダ語をそこそこ不自由なく話せ
ているので、全く問題ないですよ、とのこと。
先生のような考え方がオランダの一般常識かどうかはわからない。
選挙の投票結果のように、住む地域や世代によってもちがうことだろう。
ただ、私とこまめの身近な生活圏ではこれまで通りの行動様式を変えてしまう必要はないと
わかり、ホッとしている。
価値観の似ている先生の元で過ごせて、幸運だな。ありがたやー。
小さな摩擦
今朝、こまめのクラスへ粘土工作のヘルプに行ってきた。
お手伝いの人手が足りておらず、ごまめも一緒でもいいとのことだったので、それならば…と
名乗りをあげたのだ。
教室前の廊下に机と椅子が出してあり、4人ずつ作業できるようにセットしてあった。
白と赤の2色の粘土で壁飾りをつくって、バザーで保護者に買ってもらい、今期のテーマで
あるアフリカの、恵まれない子ども達のために募金するのだという。
もう一人のお母さん(仮にAさんとしよう)と、二人一組で担当することになった。
最初のグループには、こまめと、Aさんの娘さんのA子ちゃん、そしてあと男の子が二人。
コネコネ、ペッタンペッタン…
すぐテーブルにへばりついてしまう粘土を相手に苦戦しつつも、楽しく作業していた。
全員いっぺんに説明する時や、他の3人の子に個別に話しかけるときはオランダ語で、
こまめに個人的に「こうしてごらん」と手を添える時はいつものように日本語で。
ふと、Aさんが、「オランダ語で話してくれないと」と言った。
聞き間違いかと思って、一瞬「ハ?」と固まってしまった。
「何て言ってるの?」とA子ちゃん。
「わかんないわよね、中国語なんか。失礼だわ」とお母さんであるAさん。
つまり、こまめにもオランダ語で指示しろ、と言っているのである。
そこで、「あ、すみませんね〜、ついいつものクセで☆」とかなんとか言って軽く流して
オランダ語に切り替えられたらよかったのだが、なぜだかグッと詰まってしまい、それ以降
こまめの作業が終わるまで、一言も話しかけられなくなってしまった。
何なんだろう?
通常、学校の内外で、グループ全体に話しかける時やこまめが他の子と遊んでいる時なんかは
「みんなが相手」というつもりでオランダ語で話している。
注意事項なんかは、まずこまめに日本語で言ってから他の子にもわかるようにオランダ語で
言い直すこともあるし、「そろそろ帰る仕度しないと」みたいなことは日本語で、「じゃあ
帰るね〜バイバイ」のところはオランダ語で、というふうに分けたりすることもある。
たぶん、周りのお母さん達や子ども達も文脈やシチュエーション的になんとなく見当がついて
いたんじゃないかな、と想像する。
お母さん仲間との雑談はもちろんオランダ語。
親戚の集まりなどでも同じような感じだ。
父が「今おまめは○○って言ってる」と説明役に回ってくれたりすることもあるので、日本語で
言いっぱなしのことも多い。
そんな感じでこれまで通してきた。
同席する人のために、こまめにオランダ語で話すこと自体は時には必要だと思っている。
が、今日のツッコミは、自分に取ってはなんだかとても不自然で、素直に反応することが
できなかった。これも私の意固地さゆえなのだろうか?
話していた内容は「もうちょっとこねて」とか、作業の手順のみ。
ひそひそと他の子の作品を見やったり、関係ない私語をしていたのではない。
それは、ちょっとした想像力があれば、誰が見ていてもわかったと思う。
それでも、脇でささやかれる外国語が不愉快だったのだろう。
家庭言語を公の場に出すな!というニュアンスから、移民排斥傾向のある政党が数年前に提唱
していた「公道ではオランダ語を話すこと」という法令の提案に通じるものを感じてしまった。
(幸いそんな人権や自然の理を無視したアホな法令はできとりゃしませんが)
Aさんにとっては、中国語だろうと日本語だろうとどっちだって大差ないことは明らかだ。
アラビア語やトルコ語だって同じように反応していただろう。
では、仮に私が金髪白人で英語やフランス語を話していたら?
同じように「失礼ね」と言われていただろうか?
…などと思うのは、少々深読みしすぎか。
もしかして、今まで私が周囲のオープンマインドな人達の好意に甘えていただけで、実は私が
こまめに堂々と日本語で話しかけていることを苦々しく思っている人はもっと大勢いたりする
のだろうか?…と少々不安になってきた。
母の母、つまりこまめの日本のおばあちゃんですら「なんで日本語教えるの?」とか言い出す
くらいだもんなー。
まあ、私に対して投げかけられた言葉としては、こんなのが大事件に思えるくらい平和で友好
的で恵まれた環境にいる証、と受け止めている。
ただひとつ気がかりなのは、価値観の伝達ということ。
きっと、A子ちゃんは、お母さんの反応によって、我が子に母国語で話しかける外国人=他所
の価値観を固持する失礼な人、という風に刷り込まれてしまうような気がする。
自分が移民でなかったとしても、なんだか残念だな。
こまめの仲の良いクラスメート達(ハーフの子も、そうでない子も)はみんな、こまめが親と
日本語で話すことを「そういうもん」として自然に受け止めてくれており、その柔軟で豊かな
感性に改めて感謝する次第である。
さて、皆さんは、どう思われますか?
遊びの場で、身内の団らんの場で、習い事の場で、朝の学校の廊下で、よくわからない外国語を
話す親子がいたとしたら?(或いは、親子間で方言丸出し)
その親子が、他人に対してはその国/土地の言葉で意思疎通することができているとしたら?
やっぱり疎ましく思われますか?
2011年8月5日金曜日
「夏らしさ」って…
午前中は、来客に備えてドタバタ。
日頃からマメに掃除片付けに精進していればこんなにあせらなくても済むはずなのだが…。
午後、市役所に行ってこまめのパスポートの更新手続き。
前のパスポート写真は生後3ヵ月の頃のもの。赤ちゃんすぎて笑える。
今回は5歳なので、書けるんだったら自分で名前を書いてね、と言われた。
「アルファベットでもいいし、ひらがなでもいいし、どっちでもいいよ」と横から言い添えた
ところ、ひらがなで書いていた。
それから、お客さんを迎える。
アムステルダム在住の日本人カップルで、友達のような後輩のようなふたり。
幸いお天気に恵まれたので、アイセル湖畔をのんびりドライブ。
後ろの座席で、こまめはお姉さんに(日本語で!)たくさん遊んでもらってキャッキャ言って
喜んでいた。風つかまえたりして、楽しそうだったな〜。
晩ごはんは、仕事を終えて帰宅した父も交えて家で。
オレンジのスライス4個分を投入した「鶏肉のスペイン風煮込み」なるものを仕込んであった
ので、それとクスクス、あとは人参のモロッコ風サラダなど。
デザートには何かひんやりしたものを…と思い、ごく淡い色のレモンのママレードと寒天で
ゼリーをこしらえておいた。
見るからに涼しげで、お出しするなり「夏らしいね〜」と言ってもらった。
それを聞いていたこまめ…「『夏らしい』って何?」ときた。
台所から聞き耳を立てていたのだが、ふたりとも説明に苦戦していた様子。
揚句、5歳児では経験値が少なすぎて、「○○らしい」という概念は説明しきれないという結論
に達した。
これまでの「夏の体験」の蓄積があるからこそ、こういうものを見たり味わったりすると夏を
感じるのだろう、と。ヒンヤリつるんとした食感、柑橘の香り…。
別に、夏におぜんざいを食べたって冬にアイスを食べたっていいわけだけれど、「冷やし中華
始めました」みたいな、季節限定の食べものが日本人は大好きなんだよねえとつくづく思う。
だいたい「夏らしさ」ひとつとっても、オランダの夏と日本の夏はずいぶんちがう。
四季の移り変わりにしても、春に真夏のような1週間が突如として訪れたり、夏の真ん中に
秋(寒くて雨ビショビショで暗い)がシャッフルされたりしていては、クッキリとした境目の
つけようがない。
季節感の経験値を上げるべく、絵本を読んだり動画を見たり俳句をやってみたり、年中行事
をささやかながらお祝いしてみたり、何かしらせっせとお膳立てしようとしてるんだよなあ。
衣更えの概念のない国で、○月だからと暦から季節感を無理矢理設定して少しでも感じようと
しているのは、日本人ゆえの悪あがきのような気がしないでもない。
蝉の声、入道雲、むわっと立ち上る湿気、遠くの方で聞こえる高校野球中継の応援歌、
ヒエヒエの店内、風鈴の音、したたる汗、落ちる影の濃さ、ジリジリ、そうめんのガラス鉢、
漆黒の夜空の天の川、蚊取り線香の匂い、線香花火の落ちる音…
…そんなものが当たり前だった頃は、もう随分遠くなっちゃった。
2011年6月12日日曜日
散髪騒動(3)
つづき。
週末で高速道路も空いていたので、30分ほどで急遽予約をとりつけた美容院に到着。
予約の時間より15分ほど早かったが、まあゆったり待たせてもらうことにした。
おいしい紅茶を出してもらい、添えてあったクッキーやチョコレートをかじってほっこり。
不幸中の幸い、こんなオマケなら大歓迎〜と読みふける。ふっふっふ。
数巻読んだところでふと気がついて腕時計に目をやると……
45分ぐらい経ってる。アレ?長過ぎやしないかい?
聞くと、私の担当となる人が手がけているお客さんが、予約になかった注文も追加で入れて
きたので長引いてるとのこと。
そういうことですか…と再び待ちの姿勢に戻るが、なかなか終わる気配がない。
他のスタッフがちょくちょく催促に行ってくれていたようだが、それでも終わらない。
子らを預けた父も、今日に限って晩に約束があって出掛けると言っていた。間に合うか?
ハラハラ…。
結局、店に来てから1時間くらい経ってやっと散髪台に座ることができた。
なんや、今日、美容院は鬼門やったんか?
ヘアカタログの写真と現在の髪型を見比べ、もう苦笑するしかない美容師さん。
既に希望の髪型は実現不可能な長さになってしまっているので、なんとか今のままで見られる
ようにまとめてもらうことになった。
レザーで適当にバッサバッサと刈られるだけのオランダ式とちがい、チョコチョコ切っていく
日本式のハサミ技は良いですな〜。
結果、20年前なら似合ったかも〜(遠い目)というようなショートになってしまいました。
が、あの悲惨な髪型のままでいるよりは10000倍マシ。
そして(ここ肝!)長時間待たせたお詫びに、と、料金を半額にしてくれた。
「申し訳ありませんでしたね。こういったこと(待たせ過ぎ)はこれで最後ですから。」との
お詫びの言葉と真摯な態度。これですよ、これこれ!
技術以前に、こういうサービス精神の有無で、こちらの気の持ち様も随分変わってくるのだ。
帰り道もスイスイとばして、無事に父の出発時間には間に合ったが、家族揃って午後の予定は
まるつぶれ。散髪屋さんに振り回された一日だった。
完!
ここまでおつき合い下さった方、ありがとうございました★
散髪騒動(2)
つづき。
「台無しにされちゃったんで。」と。
さすがに私も(オイオイそうくるか…)と仰天していたら、当然あちらのスタッフ(3人)も
何事?!とばかりに怪訝な顔。私の担当だった人は他のお客さんのカット中だった。
店長とおぼしきおばちゃんがエラい剣幕でまくしたててきた。「どういう事ですか?!」
で、私が間に入る。
「いや、あの、台無しとかはキツすぎる表現かもしれませんけど、お願いしたのと全然ちがう
髪型になってちょっと困ってまして…」とかなんとか。
すると、おばちゃん店長の激昂は治まるどころかますます加速。
「こちらとしてもそちらの言うこと一生懸命理解しようと努めてやらせてもらったんですけど
ね!」(←暗に私の言葉足らずを指摘してる?…いやいや、サイドやバックの写真までついた
詳細なカット見本持参したんやからそれはないやろ…)
そして更にこう続く。
「なんです、高飛車に!もう結構!こちらとしても二度と来ていただきたくありませんしね!
えーえー、返金でも何でもいたしますよ、いくらでした?これ持って、お引き取り下さい!」
とっとと失せろ!ってな勢いで、塩壷があったら確実にまかれていたであろう。
……うわ〜。唖然。
父の言い方も確かにキツかった。が…この展開は予想していなかった。
そんな法外なクレームつけたか?いやいやいや、そんなはずはない。
返金が無理でも、「お気に召しませんでしたか?」「どうさせてもらいましょう?」と、顧客
相手のサービス業なら、普通はそうくる…と…思いません?
そこを逆切れ。
私らが店外に出たら、中から窓をバコーンとどついてる音すら聞こえてきた。
「けったくそ悪い客やな!!」とでも叫んでいたのだろう。
なんというか… 異文化ですなあ。
これがオランダ標準でないことを祈る。(知人にインタビューしてみよ)
いいボスやなあ、と妙な感慨すら覚えた。
チンピラの親分としては、なんとまあ頼りがいのあるお方であることよ!
部下のことを身体を張って命懸けで守るその姿勢。
妙な客にうちの娘へ手出しはさせんで!という気概。
親方万歳!どこまでもついていきます!…といきたいところだが、評判落として経営転んだら
雇用も保障できなくなるから、ビジネスとしては全然ダメだと思われ。
まあ良くも悪くも家庭的な立地の家庭的な職場ではアリなのかもしれない。
競争原理とか働いてないし。地区の小学校横にポツンと1軒きりで、それなりに需要があって
駅前の他店とは競合してないんだろう。
さてさて、こちらも相当けったくそ悪い思いをしたが(ヤレヤレ)、代金は返ってきたので、
そのままアムステルダム方面へ向かう。
父に子らを預け、日本の技に望みをかけて、いざ修正に!
つづく。
散髪騒動(1)
…といっても、こまめがまたやらかしたわけではありません。
私のドタバタ。
昼過ぎに、近所の美容院に行った。
半年以上放ったらかしてあったので、いい加減サッパリしようとついに重い腰を上げたのだ。
この美容院は住宅地の真ん中にある小さな地元サロンで、1年ほど前に試しに行ってみたら
意外と大丈夫だったので、再訪してみることにした。
意外と…というのは、オランダの美容師さんにはアジア系の黒髪(硬い・多い)に不慣れな人
が多く、期待が裏切られることがほとんどだからである。
アムス方面まで出て行けば日系美容院もいくつかあるのだが、地元で事足りるのならば料金も
交通費も往復の時間も節約できる。
言葉で説明して通じなかったら困るから、インターネットのヘアカタログで好みの型を探して
プリントアウトしたものを持参した。
それを見せて「こんな感じで」とお願いしたのだが………
……………
どこがやねん…。
素人の私でもどこをどうしたら良かったか指摘できるくらい、似ても似つかぬスタイルになり
果ててしまった。切り過ぎでもある。修正できるレベルを余裕で超えてる。
それでもなんとかしてもらえるか?とかすかな望みをかけて「これは…ちょっと…シルエット
全然ちがうんですけど?」と写真を見せながら言うと「そこの部分はブローで膨らませてある
からそう見えるだけですよ」とか(絶対違う!!!)と突っ込みたくなるようなことをサラッ
と言い返してくる。
ほなやってみろ!とばかりに予定外のブローをさせてみるが、案の定、まったく違う。
違ってても「あ、これ案外いいかも〜」という新鮮なオドロキがあれば救いだが、もう全然
ダメ。鏡の中の誰このおばはん?
いや実際おばちゃん年齢ではあるのですがね…そこを何とかしようと美容院なんぞに行くって
わけで。
私の反応から不満であるというのは読み取れたはずだし、プロならずとも写真見て全然違うの
は一目瞭然だったが、「1週間以内の修正カットは無料ですよ」といったフォローも一切なく、
サッサとレジでお会計、で「ありやとやんした〜」と……。
涙目で帰宅。くっそう。
これ何の罰ゲーム?
帰宅して父に一部始終を話し、速攻で日系のサロンに予約を取り付けた。
だって、こんなの、あやつらに修正できるわけないし…。
こんな頭で、数日でも歩き回るのいやだし…。
で、父の「これはクレーム言いに行った方がいいんとちゃう?」という意見に同意し、弱気で
言いくるめられそうになったら困るので父も一緒に(当然子らも一緒に)再びその美容院へ。
そこでまた一悶着あったのだが、つづく。
2011年4月16日土曜日
お弁当 後日談
父から聞いたこぼれ話。
日本式の「おにぎり+おかず」というお弁当を食べるにあたり、やはりオランダ人ならではの
反応を目撃したという。
その一つめが「うす味に慣れてない」ということ。
オランダ人向けということで、通常の我が家の味付けより幾分キツめにしておいたのだが、
それでも淡白に感じる人がいたようだ。(ちなみに普段は関西風味の乳幼児仕様で超薄味)
おにぎりは「中心に具、まわりに味海苔」のものと「ふりかけ入り、まわりに焼海苔」という
組み合わせ。もちろん握る際には手に塩したし、日本人的にはこれだけ食べても全然OK。
ところが、基本的にしょっぱい味好みのオランダでは、うすボンヤリというか味がないように
感じられるらしく、「おしょうゆかけたいわ〜」という人が続出したとのこと。
あらそうでっか…。
二つめは、食べる順番。
日本では、ごはんとおかずを交互に食べる。
おかずの味付けや組み合わせも白飯と一緒に食べることを前提としてある。
ところがオランダは西洋料理の国。前菜→主菜→デザート、と順々に食べる習慣なのである。
で、お弁当も、まずおかずをパクパク食べてしまい、それからおにぎりに手をつける…という
食べ方だったらしい。(上記「おしょうゆほしい」もこれで説明がつくか?)
一応父が「交互に食べるんでっせ」と説明はしておいたらしいが、当の本人も放っておいたら
ごはんを片付けてから好きな肉料理にじっくりとりかかる、といった食べ方をするのだ。
以上、所変われば品変わる…というか、お弁当の食べ方ひとつとっても文化のちがいが透けて
見えて面白かった。
2011年2月14日月曜日
此岸/彼岸
明日は父のお母さんの命日である。
父のお母さん、つまりこまめ&ごまめのオランダのおばあちゃんは、こまめがまだ2ヵ月の
赤ちゃんの頃、乳癌で亡くなった。
お母さんが入院先の病室で最後の誕生日を祝っていたちょうどその時、奇遇なことに、母は
こまめのお産を迎えていた。
結局こまめが生まれたのはその翌日だったので、お母さんとは1日違いの誕生日となった。
生後4日目のこまめをお母さんの腕に抱かせるために車で向かい、無事に対面が叶ったが、
お母さんの容態はその後好転することはなく、最期は自宅で皆にお別れをしてから、消極的
安楽死(*)という形であの世に旅立たれてしまった。享年68歳。
そして、教会でのお葬式の後、市の墓地に埋葬されたのだった。
かつてオランダでは、埋葬が一般的であった。
遺体を棺に入れたまま、焼かずに墓地の土中に埋めるのである。
統計資料によると、約100年前には100%埋葬であったが、火葬も1970年代より徐々に一般的
になり、近年では6割近くの人が火葬を選んでいるようだ。
さて、お葬式の後は、特に法事などで親族が集まったりすることもなく、お墓参りですらあまり
することがないまま月日が過ぎた。
日本では、近しい人を亡くした場合、命日以外にもお盆やお彼岸などお墓参りをする機会が年に
何回もある。実際お墓に参らずとも、お仏壇にお線香を上げたり、遺影に花を供えたり、色々な
形で喪の悲しみを癒していく。
たいして信心深くもない母でさえ、そういう感覚が宗教というより風習として染み込んでいる
ので、事あるごとに「お墓参りに行こうか?」と父を誘ってみていたのだが、なんだかんだと
お茶を濁してはぐらかされることも多かった。
そういう私も、近所のお墓ならともかく、隣の市まで高速道路を使ってわざわざ出かけなくては
いけないので、自分と子ども達だけで行くのもなあ…と、結局この5年間に数えるほどしか参って
こなかったのだった。
さて、お母さんの5周忌である。
せっかくなので、近い身内で集まってお墓参りでもしたら?と、提案してみた。
私自身は親戚付き合いにはそれほど積極的ではないが、亡くなったお母さんの思い出を共有して
喪失感を癒したいという欲求がまだまだ父の内に残っているように感じられたからだ。
そこで、父の二人の弟一家と、亡くなったお母さんの妹である叔母一家、計3家族に声をかけて
みることにした。
最初は「それはいい考えだ」と皆乗り気だった。
そのうち、引越が済んだばかりの弟一家の新居訪問も兼ねよう、ということになり、揚げ句の
果てには、お墓参りは省いて、昼食を一緒に食べるだけにしよう、ということになってしまった。
聞いてみると、どうも皆でお墓参りはしたくないという。これには驚いた。
亡くなった人と心の中で対話することは確かに個人的なことである。
が、墓前に皆揃って元気な様子を報告するのも供養のうち、そうすることで喪失感も和らぐはず…
と考えた自分は、やはり異なる文化的背景を持っているのだと思い知らされた。
無宗教で個人主義の父世代はともかく、熱心に教会に通い、集うこと・分かち合うことの大切さ
を熟知しておられるはずの叔母さんまでもが辞退された時、これはもう何かが決定的に違うのだ
と思わずにはいられなかった。
でもまあ、こうやって集まれるのもお母さんのお導き、と気をとりなおして昼食会に臨んだのだ
が、お母さんの話がひとことも出なかったのには更に驚いた。
話題は弟一家の新居のことや仕事のこと、計6人いるこまめ世代のいとこ達のこと、等々。
お母さんの命日をきっかけに集まることにしたというのに、お母さんの思い出について触れる人
は誰ひとりいないのである。
同席していたお父さんの新しいパートナーに気を遣っていたのかもしれない。
それにしてもあんまりだと思ったので、帰り際、お墓に供えたのと同じお香を焚かせてもらった。
「あなた方のお母さまに。」と言い添えて。
(訳:あんたらのおかんのためやねんで!)
「此岸」と「彼岸」。
仏教の世界でこの世とあの世を言い表す言葉だが、異文化の中に身を置く者として、また別の
意味での「こちらがわとむこうがわ」について考えさせられたのだった。
写真は、3週間ほど前にこまめが突然「おばあちゃんに」と言って作ったカード。
命日の話などまだしていない頃だったので、とても驚いた。
「Lieve Oma(だいすきなおばあちゃんへ)」と書いてあり、お星さまになったから、と星を、
それから花やハートなどを、こまめのやさしい気持ちのありったけで描いてある。
会った記憶もないおばあちゃんなのに。
(*)消極的安楽死:
延命措置などの治療をストップする形で間接的に死期を早めること。
薬物を投与したりするのは「積極的安楽死」と呼ばれる。オランダではどちらも合法。
2011年2月7日月曜日
移民の市民化プログラム
オランダの子どもの学校についていくつか触れたので、今度は大人の学校のことを。
母が父のパートナーとしてオランダに移住したのは2005年のこと。
移民として滞在許可を得るには厳しい条件があり、それをクリアしないことには送還の憂き目に
あってしまう。どうにかこうにか移民局の許可が下り、滞在許可証のカードが手元に届いたのは、
こまめが生まれた後のことであった。
を仲介する事務所より、講座に通えとの通知が届いた。
講座の内容は、オランダ語とオランダの社会常識。これらを備えてこそ市民としてオランダ社会
に馴染める、との計らいであり、増え続ける無知な移民による社会基盤の崩壊を憂えての、国と
自治体を挙げての対策である。
オランダの移民法では、移民は市民化プログラムに沿った教育を受けた上で、上記2科目(語学
と常識)の試験にパスしないと、罰金を科せられた上、長期もしくは無期限滞在の資格がもらえ
ないことになっているのだ。
母が通うことになったのは、市内のROC(Regionaal opleidingencentrum、地方教育センター)と
いう、青年向け職業訓練校と社会人学校の合体した教育施設である。
そこで週に4日、11時間の授業を1年間受けることになった。
当時の移民法(*)では、学費はもとより、教材費、通学にかかる交通費、こまめを預けた保育園
の費用の一部、そして試験料のすべてが市によってまかなわれた。こんな有難いお膳立て、利用
しない手はない!と発奮して通い始めたのだった。
(*移民法はしょっちゅう改正されるので、ここ数年でもその条件はおそろしく変化している。
母の頃には、試験にパスさえすればプログラムの学費はすべて免除であったのだが、その後
一部負担になり、そのうち全額自己負担になるとのことである。)
プログラムの対象となる移民の教育レベルは、文盲から大卒まで、実に幅広い。
どのクラスに編入されるかは、講座開始前のレベルチェックテストで決められる。
母のクラスメートは、
・オランダ人男性の元に嫁いだ女性(ブラジル、ロシア、ポーランド、マレーシアなど)
・オランダ在住の遠縁の女性と結婚してオランダにやってきたモロッコ人男性
・Au Pairとしてオランダ人家庭に住み込んでオランダ語の勉強をしているポーランド人女性
・移民法が施行される前に移住したイラン人夫婦の奥さん(遡って義務を課せられているケース)
・難民としてオランダにやって来たアフガニスタンの小児科医の女性
などであった。
レベルのちがいは使用する教科書の内容からも見て取れた。
「Code1」(学歴のある初級者向け)では日常的な挨拶や電話でのピザの注文の仕方、道の訊ね方
など実際的な内容だ。
続く「Code2」(同じく有学歴の中級者向け)では子どものしつけについて考えたり、趣味や余暇
の過ごし方について話をしたり、履歴書の書き方や就職面接のことなどとなる。
更に「Code3」(同じく、上級者向け)では安楽死などの医療倫理や環境問題について議論する…
といった具合である。
この教材はマルチメディア仕様で、各課のトピックに合わせたビデオ素材などが付録のCDに
おさめられていて、例文の発音を正しくチェックすることもできる。これを家で宿題として
こなしたり、学校のコンピュータールームでおさらいすることもあった。
コンピュータールームでは、レベルに応じた文法や語彙を強化する為のソフトや模擬試験を
使って自習することもできた。
会話は、学食で休憩時間にお茶を飲んだりお昼を食べたりしながら、一番鍛えられたと思う。
リラックスした雰囲気の中、実践あるのみ、というわけだ。
持参のおやつにもお国柄が出ていたりして、面白かった。
残念だったのは、モロッコ系など多人数のグループを組織する人たちが、当然なのだけれど、
自国語でしゃべりまくっていたこと。幸か不幸か、日本人は見かけなかったので、自分には
オランダ語しかなかったわけだ。
さて、1年間の学校通いの最後の締めくくりが、試験である。
オランダ語の試験は、学校の試験室が会場であった。読む・書く・話す・聞くの4科目を、
同時期の対象者が一斉に受ける。センター試験のような雰囲気で、そういった試験に不慣れな
人もおり、緊張のあまり途中でおかしくなって退室してしまったのには驚いた。
社会常識の試験は、コンピュータールームで各自やることになっていた。
内容は、基本問題が「仕事と収入」「住居」「健康」「交通」「その他」の各分野より計28問。
それから「教育」「医療」「余暇」「子ども」「税金」のうち2つを選択する問題が各6問。
失業保険を申請するのはどこ?車で事故にあったらどうする?義務教育の年齢は?といった
質問の答えを選択肢から選ぶ。正答率80%以上で合格である。
さて、晴れて合格して免状を手にしたら、市民化プログラムは修了。大手を振って表を歩ける
わけであるが、実はもうひとつ、任意の試験がある。
NT2(Nederlands als tweede taal、第二言語としてのオランダ語)という検定試験である。
2段階のレベルがあり、例えばオランダの大学に入学したければレベル2が必須、高校では
レベル1、といったように、基準の確かな資格として扱われる。
これも、ROC在学中に受験すれば試験料が免除とのことだったので、思い切って受けておいた。
学食での会話のように、その後の実際的なコミュニケーションは他のお母さん達と話したりする
ことで格段に伸びた。
それから、我が家では新聞を購読しているのだが、おちおち座って読む暇などないのが現実だ。
気が向いたらざっと目を通してみるのだが、いかに短時間で記事の主旨をつかめるか、これも
いいトレーニングになっていると思う。
まだまだ言い間違いも聞き間違いも多いが、こちらも程々にブラッシュアップしておかないと、
いずれ子らが成長した時に話についていけなくなる恐れ大なので、厳しい試験とは無縁であるが、
おしりに火がつきそうな状況は常に継続中というわけなのである。
2011年2月6日日曜日
モンテッソーリ
こまめの通う小学校は、オランダのモンテッソーリ小学校である。
4歳に始まる小学校が自由に選べる、ということで、こまめが2歳半の頃にリサーチを開始した。
歩いて5分の所にあるニュートラルな公立小学校は、知人の評判もイマイチで、教育監査庁の
公開レポートも要観察ということだった。パッと見た施設の印象もあまり良くなかったので、
それなら…と、市内全域に視野を広げてみることにした。
我が家は無宗教なので、キリスト教は教養としては知っておいたらいいと思うが、初等教育の
背景となる世界観としてはどうか、と思ったので却下。
いろいろある教育法の中で目をひいたのがモンテッソーリだった。
モンテッソーリ教育については、ウィキペディアによると以下のような定義がなされている。
20世紀はじめにマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは、知的障害児へ
感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児
を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。
何が独特かというと、まずその理念。子どもの中の自発性に重きがおかれている。
どの子どもにもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人は
この知的好奇心が自発的に現れるよう、子どもに「自由な環境」を提供することを重要視
した。
また、子どもを観察するうち、月齢、年齢ごとに子ども達の興味の対象がつぎつぎ移り
変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期
があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。
モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子ども達
の「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである。
そして、その理念を実現するに当たって使われるのが、独特の「教具」。
教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。
これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが
開発した。
モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、
子ども達の繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。
また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具
を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。
このようなモンテッソーリ独自の環境と、3年齢共存のクラス編制にも魅力を感じた。
現在こまめが在籍している低学年クラスには、4〜6歳児がいる。まずは一番おちびさんとして
入り、いつかはお世話を焼く側に立つというお膳立ては、当時まだ一人っ子だったこまめには
豊かな社会性を育てる上でとても重要になると確信したのだ。
さて、そうして家から通えそうな所にあった2つのモンテッソーリ小学校に見学に行き、実際に
その「教具」を手に取って試してみることができた。
なるほど、緻密な知育玩具といった感じで、面白い。(画像)
こんな風に世界の成り立ちの基礎が学べるのなら、私ももう一回小学校からやり直したい(笑)
と思うくらい、その魅力にとりつかれてしまったのだった。
幸い父も同意見だったので、2つの学校のうち、バイリンガル或は多文化背景を持つ子らとの
経験が多く、そして体育館などの施設も充実している方の学校に決めた。
実際に通い始め、はじめの頃は遊んでばかりだったようだが、考えてみれば幼稚園の時期なの
だから、それも必要と気にしなかった。
ここ半年ほどで課題にも精を出すようになったようで、時々放課後に見せてくれる作品は多彩だ。
「100ボード」という1から100まで書かれたコマを順々に並べる盤などの「いかにも算数の
基礎になっているな」というものから、指先を使ったお仕事を重んじるモンテッソーリならでは
の刺繍作品まである。
そういった課題を「全員一緒に、さあやりましょう」ではなく、各自の選択で好きな順番にやる。
順序は様々でも、ひととおりどのタイプの課題もまんべんなく手がけるよう、先生がチェック
してくれている。
考えてみたらすごいことである。担任の先生一人につき生徒は25〜30人ほどいるのである。
もちろん、このような自由課題の時間だけでなく、全員で取り組む授業もある。
最近では、「五感」というテーマに合わせて、目の見えない人が来て点字や盲導犬について
話してくれたり、耳の聴こえない人が来て手話を教えてくれたりしたそうだ。
生徒各自の興味とペースに合わせた授業というのは、非常に魅力的である反面、やはり相性
というのもあるようで、合わない子も中にはいるらしい。例えば、自分から率先して選んで
行くことのできない子、あれやこれやお膳立てしてもらってガンガン詰め込まれる方が性に
合っている子、など。(そういった子にこそ自立と自律を促す教育法が必要にも思えるが)
公立学校としての基準を満たすためには、ある程度反復練習のようなことも欠かせないので、
そのバランスが難しいのだとも聞いた。
我が家での日本語学習の取り組みは、時間をかけてとはいえ、大量の文字暗記を前提として
おり、ややもするとドリルなどを使用した詰め込みに偏りかねない。
少なくとも学校生活では上記のような活動をしてきているので、程々にバランスが取れて
良いかな、とも思いつつ、やはり家でもできるだけ柔軟な思いつきを混ぜて、遊びの要素、
楽しいワークショップのような側面も盛り込みたいと思っている。モンテッソーリメソッド
という長年の蓄積に裏付けされた素晴らしいお手本もあるのだから。
2011年2月4日金曜日
みんなちがってみんないい
放課後、クラスの女の子とそのお母さんが来て、一緒におやつを食べ、遊んで行く。
2階の子供部屋でお姫様や妖精の衣装を着てごっこ遊びをしていた様子。
母達は階下でお茶を飲みながらおしゃべり。
例のドイツ育ちのオランダ人のお母さんと、異文化の中で育つことについてなど話す。
彼女は両親がオランダ人で、つまり駐在家庭のような感じだったようだ。
いつしかドイツ語があまり快い言語とは思えなくなった…と言ったので、ご両親の態度が影響
していたのでは?と聞いてみたところ、あからさまにドイツ(人・語)を見下すような感じでは
なかったが、明らかにオランダに好意的肯定的ではあった、と言っていた。
そうは言っても、オランダに住むことになり子を持つことになったら今度はオランダ的な態度
にイライラしたりしっくり来なかったりすることもあるという。
まあそれは人に対するのと同じで、国や文化にも長所短所いろいろあるから当然だろう。
その長所短所というのも絶対的なものではなく、ある観点に立って見た場合における限定的な
価値判断で、相性のような側面もある。私だって日本のいい所悪い所いろいろ感じるから、
それはよくわかる。
ただ、そういった親の価値基準が子どもに影響する度合いというのは軽視すべきでないと思う。
特に幼ければ幼いほどその影響力は多大である。
そのような多感な時期に「日本とオランダ、どっちもいいね」という肯定的なイメージを植え
付けることができたら、後々自分のルーツについて考える時などにプラスに働くのではないか、
と想像する。
もちろん現実として「日本はここがダメ、オランダはここがイヤ」ということもあるわけなのだ
が、それをあえて親が提示する必要はないというか、そちらは本人の体験からくる実感に任せて
しまって良いと思う。
そして、何よりも大事なのが、「どちらかを選ぶ必要はない」という態度を親が持ち続けること。
みんなちがってみんないい、である。
居住国は「たまたま」オランダだが、だからといって日本のことを否定するわけでも「遠い外国」
として彼方に押しやってしまうのでもなく、日本語を熱心にやるからといってオランダ語を拒絶
するわけでもない。
そういった姿勢を、親の背中を見て育つ子どもに示していきたいと思う。
そんなこんなで、本日の取り組みは、
・童謡動画メドレー
・ひらがな表 音読
…のみ。
いろいろ時間の取れる週末が待ち遠しい!
2011年2月1日火曜日
オランダの小学校
こまめは5歳。現地校の1年生である。
オランダでは4歳になると小学校に行き始める。
日本の感覚からすると「えっそんなに早く?!」と思うかもしれないが、誰も彼もが幼稚園に
行くのだったらそれを統合しちゃえ!というようなことらしい。
父の時代には幼稚園として分かれていた。
入学式のようなものはなく、4歳になった時点で三々五々登校を開始する。
12月生まれのこまめは、冬休み明けの1月から通い始めた。
その時点では実はまだ「0年生」という扱いで、夏休み明けの新年度、秋に始めた子も春に始めた
子も、みんな揃って1年生となるわけである。
こまめが通っているのは、公立のモンテッソーリ小学校。
異年齢混在クラスとなっており、0〜2年生(4〜6歳)が低学年クラス、3〜5年生(6〜
9歳)が中学年クラス、6〜8年生(9〜12歳)が高学年クラス。
進度に合わせて飛び級も留年もあるので、入学時期がバラバラなのと合わせて、日本の学校の
ような「横並び」意識とは無縁と思われる。
小学校は、通学はもちろん義務だが、選択は任意であり、選択肢の幅は広い。
・立地で選ぶ:最寄りのニュートラルな公立小学校
・宗教で選ぶ:カトリック系、プロテスタント系、イスラム系など
・使用言語で選ぶ:インターナショナル、日本人学校、フランス人学校など
・教育メソッドで選ぶ:モンテッソーリ、イエナプラン、ダルトンスクール、シュタイナーなど。
これらの多くが公立なので、特殊な私立(例えば日本人学校)のように授業料を払う必要がない。
学校としての質を一定に保つために、日本で言うところの文科省にあたる教育文化科学省の傘下に
学校施設は日本に比べてあっさりしている。
広大な運動場やプールなどない所がほとんど。そもそも北国で雨も多いので、屋外での体育という
概念がない。もちろん天気がよければ休み時間に校庭で遊べるが、カリキュラムとしては
成立しないということだろう。夏でもかなり涼しいので、大人用でも屋外プールというものは
見かけない。
体育館がない学校もある。そういう所の生徒は、体育の時間にはみんなでぞろぞろと付近の体育館
まで歩いて行ってるようだ。
お昼ごはんは帰宅して食べるかお弁当なので、給食室もない。
母の通った日本の公立小学校を思い出すと、上記施設に加えて、実験装置の揃った理科室や、
楽器の並んだ音楽室、それに調理器具を備えた家庭科室まであった。当時はそれが当たり前だと
思っていたが、なんという充実ぶりだろう。
ハコがちがえば中身もちがう。
何がちがうかというと、メンタリティーが一番ちがう。
日本では入園入学に際して事細かな持ち物指定や綿密かつ懇切丁寧なオリエンテーションがある。
それに従っていれば安心、外れていないかと不安にもなるので、「横並び」の刷り込みでもある。
対してオランダでは、一応始業時間や学校の理念などを記した学校のパンフレットをもらうが、
その程度。上靴や体操服については、どんな物が望ましいか、などのガイドラインすらない。
こまめの学校は10時のおやつ(果物)とお昼のお弁当を持参することになっているのだが、それも
当初はあいまいで、飲み物を2つ持たせたら良いということは後になってわかった。
よほど不適切でない限りそれぞれの家庭の判断に任せられているということは、子どもの自主性や
自由な選択を推進する上でも役立っているのだろうが、日本式に慣れている自分には、おぼろげで
不明瞭なこと甚だしく、当惑した。
メンタリティーのちがいに大きく関係しているもうひとつの習慣は、掃除である。
日本の小学校では、自分たちの教室は自分たちで掃除する。前述の母の学校では全学年で縦割り
グループを組織して、昼休みの後に学校中を掃除していた。
オランダでは、使ったお道具などは当然自分たちで片付けるが、教室やトイレなどの掃除は放課後
やって来る業者まかせ。これは、後々の公共心に大いに影響していると思う。
日本式では、「公共の物=みんなの物」という意識が育つのに対し、オランダ式(おそらく欧米
ではほとんどそうではないか?)では「公共の物=誰のものでもない物」と感じてしまっても
無理はない。
「どうせ自分たちできれいにしないといけないのだから、きれいに使おう・大事に使おう」と
いう意識がこちらの人たちには薄く、駅や公園など公共の場にはゴミが散らばっている。
(その割に環境問題に熱心な人が多いのは、正義感とかヒューマニズムとか別の理由によるの
だろう)
個々の発達と個人の考えを尊重するオランダ式の教育には魅力も多いが、この点に関してだけは
残念である。
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