2011年2月3日木曜日

アンパンマンの勝ち

今日は節分。
晩ごはんの後、父が去年自作した鬼のお面をかぶり、無言で静かに登場。(ビビらすのは厳禁
と釘を刺しておいた)
それを見ただけでごまめは大泣き。
こまめは実はとても恐がりなのだが、去年一緒に作ったお面をお父さんがかぶっているという
のがわかっていたから、わりと冷静だった。(内心は…?)
ごまめが拾って食べると危険なので、豆まきはフリと「鬼は〜外!」の掛け声だけ。

なんというか、非常に個性的な鬼…。
去年、豆まきイベントのために父が張り切って制作した。新聞紙などを使った張り子である。
画像検索でいろいろと見本を見ていたはずなのだが、どこをどう解釈したらこのような特定の
誰かさん風になってしまうのだろう?


こまめは放課後クラスの友達のところで遊んできた。
帰宅後、巻き寿司を作るのを手伝わせようと、まずは酢めしをうちわであおぐ係。
次は具を乗せたり巻いたり…と思っていたのだが、夕方のぐずりでどうしようもないごまめの
ためにDVD『アンパンマンとおゆうぎしよう!』かけたら、そちらに飛んで行ってしまった。
1歳児と5歳児の両立、うまくいくこともあるが、なかなか難しい。

よって、本日の日本がらみの取り組みは、そのDVDと節分行事。

言葉だけでなく

現在、こまめがひらがなを読めるようになるように…と、あれやこれや手を替え品を替え、母子で
取り組んでいるわけだが、ひらがなさえ読めれば良い、ひいては本さえ読めればいいと思っている
わけでは決してない。

言語はツールであって目的ではないという意見に私もまったく賛成で、その言葉の向こう側に
ある何を求めているのかということこそが大事であり、見失ってはいけないことである。
バイリンガルとして二つの言語を操れるようになるだけでなく、バイカルチャルとして二つの
文化を理解体得し行き来することができれば、それはとても豊かで素晴らしいことだと思う。
それこそが二つの異なる文化的背景を持つ父母の元に生まれた子どもの恵まれている点である。

そのために、厚みある文化という大きな山を眺めるだけでなく、気が向いたら自力で分け入って
行けるよう、麓の道筋をつけておいてやろうというのが親である私の目論みである。
勿論、それは遥か彼方を望んだ理想であり、途中でどうなってしまうかは誰にもわからない。
仮に道半ばで引き返すことになったとしても(つまり、日本語の習得をあきらめて現地語に絞ると
いう選択肢を選ぶとしても)、出発する時に掲げる目標は高くていいと思う。

文化と言ってもいろいろである。
茶道や華道、仏教や神道、武道に書道などといった伝統的なものから、マンガや遊び、最新の
デザインや流行に至るまで、切り口は様々。
食文化などは、時間軸・空間軸、どの切り口でも面白いと思う。
これらのひとつひとつに、変化に富んだ地形と四季、それに歴史が影響している。
例えば、おいしい和菓子やお好み焼きを味わったり、おばあちゃんの携帯電話に敬語でメールを
送ってみたり。そういったことの向こう側には膨大な文化の蓄積が横たわっている。

その海にどこまで漕ぎ出して行くか、それはこまめ次第。
最初は手取り足取り浮き輪も使って一緒に泳ぐことから…それが幼児期の会話の段階である。
ひたすら日本語でしゃべるという地道な努力の甲斐あって、ある程度スイスイ泳げるように
なってきたようだ。

更にもっと遠くまで行こうと思ったら、書き言葉という船に乗らないといけない。
日常会話以上のレベルである文化を理解しようとしたら、やはり話し言葉とはちがった書き言葉、
それも、より抽象度の高いものを理解する技術を習得しないことには始まらない。
日本語で書かれた物には古い物から新しい物まですばらしい蓄積があり、硬派な学術書から
マンガに至るまで幅広い。
なんとかその船を漕ぎ出そうと、えっちらおっちら櫂の持ち方から帆の張り方から練習中、
といったような具合である。
ひとたびエンジン付きの船に乗ってしまえば、あとはもう自由自在、好きな島々を巡ることが
できるわけなのだが、そこまで辿り着くのはいつになることやら。

2011年2月2日水曜日

目で見る日本の歌


朝ごはんの後、動画で童謡メドレー。
 『ハオハオ』『おうま』『あめふりくまのこ』『ぶんぶんぶん』『チューリップ』
 『どんぐりころころ』『ふしぎなポケット』『いぬのおまわりさん』『一週間』
 『かたつむり』『ことりのうた』『ねこふんじゃった』『おもちゃのマーチ』
 『おおきなくりの木の下で』『おつかいありさん』『はるがきた』『うみ』『もみじ』
 『ゆき』『しょうじょうじのたぬきばやし』『トマト』『とんとんトマトちゃん』
 『私と小鳥と鈴と』『やぎさんゆうびん』『山のワルツ』!
   一曲一曲は1分そこそこなのだが、それぞれに情景のよくわかるアニメーションがついて
   いるので、まだ語彙と実体験の少ないこまめには歌のイメージをつかむとてもいい助けに
   なる。タイトルや歌詞のひらがなも読もうとしているようだった。いいぞいいぞ。
   ごまめも喜んで身体をゆすって踊ったり、好きな動物を指差したりする。

・ひらがな表 音読

・カレンダーで日付確認


   珍しく興が乗って2枚。
   気球をオランダ国旗の色に塗っていた。



横ではごまめ画伯がせっせと描いたり貼ったり。
少し前にはシールを渡しても指にくっついて紙にくっつかない〜と発狂(笑)していたのに、
今日はちゃんと両手を使って裏表も間違えずに貼ることができていた。進歩!

右利きなので、右下にモチーフが集中しているのも面白い。


トミーの教材より:
  ひらがな線結び 基本動詞3枚、表情の動詞(わらう、おこる等)1枚

   整理整頓、えんぴつの正しい持ち方、大工さんの仕事など。

・読み聞かせ
   ものすごく面白がっていた。
   知的なトリックがいろいろ仕掛けられていて、内容のレベルが今のこまめの好奇心を刺激
   するのにドンピシャだったようだ。一昨日の『かばくん』と対照的な反応。

   母の弟の愛読書だった。
   1970年代、ローラーくんのごとく、いろいろゆっくりしてた時代だったな…。
   絵が良い、色使いがちっとも古くない。文章もいい。


そして休憩。ずっと座ってばかりいたので、気分転換にダンスタイム!
フラットスクリーンのテレビを鏡代わりにしてアイドル風に踊るのが流行っている。
ごまめは昼寝、母は少し家事。

昼ごはんを食べながら『まんが日本昔ばなし』のお話CDより『かちかち山』をかける。

午後は久々の外出!
こまめのダンス教室と買い物。

帰宅時、玄関先で「入る」の反対は?「出る!」…等々と反対言葉さがし。
先日かるたでやったような形容詞だけでなく、動詞でもできるとふと気付いたので、その場の
動作を元に即席でクイズにしてみた。
カバンに物を「入れる」…カバンから「出す」、上着を「着る」…「脱ぐ」、など。
日常生活に密着した語彙なので、けっこう答えられた。


夕方、DVD『Molletjeもぐらくん)』
   4枚組のうちの1枚(3話)をかける。
   チェコのアニメで、一番古いお話はなんと1957年のもの。不朽の名作。

その後、『いないいないばあっ!』を見ながら、ことちゃんの髪飾りをまねた物を紙と
セロテープで作って頭に付けていた。ことちゃんになりたいのだそうだ。
うーたんワンワンでなくて良かったとちょっぴり安心な母。

2011年2月1日火曜日

オランダの小学校

こまめは5歳。現地校の1年生である。

オランダでは4歳になると小学校に行き始める。
日本の感覚からすると「えっそんなに早く?!」と思うかもしれないが、誰も彼もが幼稚園に
行くのだったらそれを統合しちゃえ!というようなことらしい。
父の時代には幼稚園として分かれていた。

入学式のようなものはなく、4歳になった時点で三々五々登校を開始する。
12月生まれのこまめは、冬休み明けの1月から通い始めた。
その時点では実はまだ「0年生」という扱いで、夏休み明けの新年度、秋に始めた子も春に始めた
子も、みんな揃って1年生となるわけである。

こまめが通っているのは、公立のモンテッソーリ小学校。
異年齢混在クラスとなっており、0〜2年生(4〜6歳)が低学年クラス、3〜5年生(6〜
9歳)が中学年クラス、6〜8年生(9〜12歳)が高学年クラス。
進度に合わせて飛び級も留年もあるので、入学時期がバラバラなのと合わせて、日本の学校の
ような「横並び」意識とは無縁と思われる。

小学校は、通学はもちろん義務だが、選択は任意であり、選択肢の幅は広い。
・立地で選ぶ:最寄りのニュートラルな公立小学校
・宗教で選ぶ:カトリック系、プロテスタント系、イスラム系など
・使用言語で選ぶ:インターナショナル、日本人学校、フランス人学校など
・教育メソッドで選ぶ:モンテッソーリ、イエナプラン、ダルトンスクール、シュタイナーなど。

これらの多くが公立なので、特殊な私立(例えば日本人学校)のように授業料を払う必要がない。
学校としての質を一定に保つために、日本で言うところの文科省にあたる教育文化科学省の傘下に
ある教育監査庁という組織の査察が定期的に入る。

学校施設は日本に比べてあっさりしている。
広大な運動場やプールなどない所がほとんど。そもそも北国で雨も多いので、屋外での体育という
概念がない。もちろん天気がよければ休み時間に校庭で遊べるが、カリキュラムとしては
成立しないということだろう。夏でもかなり涼しいので、大人用でも屋外プールというものは
見かけない。
体育館がない学校もある。そういう所の生徒は、体育の時間にはみんなでぞろぞろと付近の体育館
まで歩いて行ってるようだ。
お昼ごはんは帰宅して食べるかお弁当なので、給食室もない。
母の通った日本の公立小学校を思い出すと、上記施設に加えて、実験装置の揃った理科室や、
楽器の並んだ音楽室、それに調理器具を備えた家庭科室まであった。当時はそれが当たり前だと
思っていたが、なんという充実ぶりだろう。

ハコがちがえば中身もちがう。
何がちがうかというと、メンタリティーが一番ちがう。
日本では入園入学に際して事細かな持ち物指定や綿密かつ懇切丁寧なオリエンテーションがある。
それに従っていれば安心、外れていないかと不安にもなるので、「横並び」の刷り込みでもある。
対してオランダでは、一応始業時間や学校の理念などを記した学校のパンフレットをもらうが、
その程度。上靴や体操服については、どんな物が望ましいか、などのガイドラインすらない。
こまめの学校は10時のおやつ(果物)とお昼のお弁当を持参することになっているのだが、それも
当初はあいまいで、飲み物を2つ持たせたら良いということは後になってわかった。
よほど不適切でない限りそれぞれの家庭の判断に任せられているということは、子どもの自主性や
自由な選択を推進する上でも役立っているのだろうが、日本式に慣れている自分には、おぼろげで
不明瞭なこと甚だしく、当惑した。

メンタリティーのちがいに大きく関係しているもうひとつの習慣は、掃除である。
日本の小学校では、自分たちの教室は自分たちで掃除する。前述の母の学校では全学年で縦割り
グループを組織して、昼休みの後に学校中を掃除していた。
オランダでは、使ったお道具などは当然自分たちで片付けるが、教室やトイレなどの掃除は放課後
やって来る業者まかせ。これは、後々の公共心に大いに影響していると思う。
日本式では、「公共の物=みんなの物」という意識が育つのに対し、オランダ式(おそらく欧米
ではほとんどそうではないか?)では「公共の物=誰のものでもない物」と感じてしまっても
無理はない。
「どうせ自分たちできれいにしないといけないのだから、きれいに使おう・大事に使おう」と
いう意識がこちらの人たちには薄く、駅や公園など公共の場にはゴミが散らばっている。
(その割に環境問題に熱心な人が多いのは、正義感とかヒューマニズムとか別の理由によるの
だろう)
個々の発達と個人の考えを尊重するオランダ式の教育には魅力も多いが、この点に関してだけは
残念である。

ゆずり上手

昨日に引き続き、こまめをクラスメートに送ってもらい、そのまま遊ぶ。
絵合わせの神経衰弱をして遊び始めた二人。
すると、友達は、横で遊んでいたごまめのすることに気を取られてなかなか集中できない。
数回お母さんに注意されてもやっぱり気になる。
するとこまめがおもむろに「いいよ、片付けよ」とゲームを取りやめる宣言をした。
これには私も驚いた。こういう時の臨機応変さというか、サッと譲れるところは、頑固者の
私にはもう神懸かって見える。
もちろん普通の5歳児だからゴネたり聞き分けがなかったりすることも時にはあるが…。


夕方、DVD『いないいないばあっ!』。


晩ごはんの後、デザートタイムに読み聞かせ。
通信教材の見本冊子より
 『お日さまがいちばん』

それから、今日から2月なので、カレンダーをめくってもらう。
節分、建国記念日、バレンタインデーなどのことをかいつまんで話す。


デザートのお姫様ヨーグルトの容器で遊びたいので洗ってほしいと言う。
その他の食器を洗っているところだったので、少し待たせてから「できたよ〜」と呼ぶと、
「やった〜♪」と寄って来た。
先日の文句にしてもそうだが、喜怒哀楽が高まって思わず口をついて出る言葉が日本語なのを
聞くと、質問に対して正しく答えられるのとはまたちがった浸透具合を感じて、しみじみする。