恒例の「さくらんぼツアー」。
オランダ中部の果樹地帯 Betuwe が大好きで、季節になると毎年足を運んでいる。
去年は、春先の低温でつぼみがいっぱいダメージを受けたらしく、行ってはみたものの、
店先で売っているところはほとんどなかった。
今年はちょっと遅めながら(例年6〜7月)、「KERSEN(さくらんぼ)」の立て看板が
高速道路からいくつも見られたので、実りは順調なよう。
果樹園の露店でさくらんぼを買ったら、近くの湖(というか溜め池)へ泳ぎに行く習わし。
初めてだか2回目だかに行った時、付近をうろうろドライブしていて、偶然見つけた。
木々に囲まれているので、道からは見えない。
いつ行っても、地元の人が2〜3組いるぐらいで、ひっそり静かなところ。
浜辺で食べるさくらんぼ。汁気も甘味もたっぷりで、おいしいこと!
木々に囲まれた浜辺もいいけど、川縁ののどかな景色も大好き。
晩ごはんも食べた帰路、行きに寄ったのと同じ果樹園の前を通りかかった。
まだ看板が出ていたので、もしや…とのぞいてみたら、残念、店じまいはしちゃった様子。
そしたら、まさに帰ろうとしていたおじさんが出てきて、「ほしいの?」と聞いてくれた。
ギリギリ間に合った!
すっかり片付けてあったのに、車のうしろに積んであったのから1パック出してくれた。
おかげで、もう1キロ買って帰れたというわけ。
これがあっという間になくなるんだよなあ…。
ちなみにお値段は5ユーロ/kg。
マーケットなどと比べて格別安いわけではない。
でも、新鮮で大粒で甘くて、「穫れたその場で食べられる」というのがいい。
2013年7月18日木曜日
2013年7月17日水曜日
食べもの、どこから?
先週、養蜂所の見学の後に行った温室にて。
「トマトがはたけにあるなんて、へんなのー!」
こっちがビックリだよ…。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
[追記]
なんでへんなの?と改めて聞いてみた。
「だって、みどりだったから」とのこと。
きゅうりの赤ちゃんが畑で緑でも変じゃないし、リンゴもバナナも変じゃない。
赤いはずのトマトが緑ミドリしてたのが「へんー!」だったよう。
青紫色のニンジンぐらいの衝撃だったのかも。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
で、この辺↓のことを思い出した。見たい&読みたい。
『ブタがいた教室』
…1990年代の北大阪での実話を元にした映画。
『いのちに触れる』鳥山敏子
…上の映画の元となった男性教師がインスパイアされた本。
「生きもののいのちを考えることは、私のいのちを、私が生きることを考えること。
そして、人間とは何かを考えること。」
『いのちの食べかた』森達也
…「ぼくたちが毎日食べてる大好きな『お肉』は、どんなふうに食卓に届くの?
誰も教えてくれない、食べものといのちの大切な関係。」
『もの食う人々』辺見庸
…このリストの中で、これだけ既読。でも10年以上前のこと。また読みたくなった。
「トマトがはたけにあるなんて、へんなのー!」
こっちがビックリだよ…。
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[追記]
なんでへんなの?と改めて聞いてみた。
「だって、みどりだったから」とのこと。
きゅうりの赤ちゃんが畑で緑でも変じゃないし、リンゴもバナナも変じゃない。
赤いはずのトマトが緑ミドリしてたのが「へんー!」だったよう。
青紫色のニンジンぐらいの衝撃だったのかも。
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で、この辺↓のことを思い出した。見たい&読みたい。
『ブタがいた教室』
…1990年代の北大阪での実話を元にした映画。
『いのちに触れる』鳥山敏子
…上の映画の元となった男性教師がインスパイアされた本。
「生きもののいのちを考えることは、私のいのちを、私が生きることを考えること。
そして、人間とは何かを考えること。」
『いのちの食べかた』森達也
…「ぼくたちが毎日食べてる大好きな『お肉』は、どんなふうに食卓に届くの?
誰も教えてくれない、食べものといのちの大切な関係。」
『もの食う人々』辺見庸
…このリストの中で、これだけ既読。でも10年以上前のこと。また読みたくなった。
2013年7月16日火曜日
ごまめのひらがな、こまめの夏休み
最近のごまめ、いくつかのひらがなは読めてるっぽい。
取り立てて教えているわけではないけれど、トイレに貼ったひらがな表を眺めたり、絵本
で見かける文字を「これは?」と聞いてきたりする。
実際のところ、どんなもんよ?…と、「ひらがなつみき」で遊びながらチェックしてみた。
結果は、これくらい。
適当な2文字を組み合わせて遊んでみたら、ツボにはまったらしく、ゲラゲラ笑っていた。
「るそ」とか意味のない言葉ができたりするのが面白かったみたい。
そのうち「かみ」とか意味のある言葉でも大ウケしだした。
「さか」と「かさ」のように、入れ替えても意味の通じる「さかさことば」にも気付けた
のだが、それを音で聞くだけとか印刷されたものを見るのではなく、実際に三次元の積木を
手で入れ替えてみて「あれ〜?!」となる瞬間が、なかなかよろしい。
1文字1音のひらがなならではの醍醐味だなあと思う。
ことさらに早く文字を覚えてほしいとも思っていないが、何といっても楽しそうだし、
ちょこちょこ並べたり積んだりして遊んでみよう。
* * *
こまめの方は、ちょっとのんびりさせ中。
サーカスやらプールやら遊園地やら、やたら楽しいことが続いたので、それを絵日記にでも
書いておいたら…と促してはみたものの、やりたくない(作文が苦手)と突っぱねられて
そのままになっている。
とはいえ、夏休みも、それなりに生活習慣とちょっぴりの学習習慣をつけておいた方が
良いはずと、特にこれといった根拠もなくそう仕向けようとしていたのだけれど…
「夏休みこそ、何にもしない日、好きなだけダラダラする日というのを数日作るべき!
もちろん週末は含まず!平日にのんびりするからこそ、夏休み!」というお父ちゃんの
意見と真っ向からぶつかり、火花を散らした。
結局、私の日本的価値観(午前中にちょこちょこやっといたらはかどるよね〜)の根拠を
お父ちゃんにわかるようにうまく説明できなかったので、父の価値観(別にパジャマの
まんまでもええやんけ)=楽チンなので当然こまめもこっちがいいに決まってる!…で、
多数決で負けたかたちになり、ぐぬぬ…と引っ込んだのだった。
引っ込んだものの、まだなんかどっか腑に落ちない。
こりゃもう国民性かしらね。
取り立てて教えているわけではないけれど、トイレに貼ったひらがな表を眺めたり、絵本
で見かける文字を「これは?」と聞いてきたりする。
実際のところ、どんなもんよ?…と、「ひらがなつみき」で遊びながらチェックしてみた。
結果は、これくらい。
適当な2文字を組み合わせて遊んでみたら、ツボにはまったらしく、ゲラゲラ笑っていた。
「るそ」とか意味のない言葉ができたりするのが面白かったみたい。
そのうち「かみ」とか意味のある言葉でも大ウケしだした。
「さか」と「かさ」のように、入れ替えても意味の通じる「さかさことば」にも気付けた
のだが、それを音で聞くだけとか印刷されたものを見るのではなく、実際に三次元の積木を
手で入れ替えてみて「あれ〜?!」となる瞬間が、なかなかよろしい。
1文字1音のひらがなならではの醍醐味だなあと思う。
ことさらに早く文字を覚えてほしいとも思っていないが、何といっても楽しそうだし、
ちょこちょこ並べたり積んだりして遊んでみよう。
* * *
こまめの方は、ちょっとのんびりさせ中。
サーカスやらプールやら遊園地やら、やたら楽しいことが続いたので、それを絵日記にでも
書いておいたら…と促してはみたものの、やりたくない(作文が苦手)と突っぱねられて
そのままになっている。
とはいえ、夏休みも、それなりに生活習慣とちょっぴりの学習習慣をつけておいた方が
良いはずと、特にこれといった根拠もなくそう仕向けようとしていたのだけれど…
「夏休みこそ、何にもしない日、好きなだけダラダラする日というのを数日作るべき!
もちろん週末は含まず!平日にのんびりするからこそ、夏休み!」というお父ちゃんの
意見と真っ向からぶつかり、火花を散らした。
結局、私の日本的価値観(午前中にちょこちょこやっといたらはかどるよね〜)の根拠を
お父ちゃんにわかるようにうまく説明できなかったので、父の価値観(別にパジャマの
まんまでもええやんけ)=楽チンなので当然こまめもこっちがいいに決まってる!…で、
多数決で負けたかたちになり、ぐぬぬ…と引っ込んだのだった。
引っ込んだものの、まだなんかどっか腑に落ちない。
こりゃもう国民性かしらね。
2013年7月15日月曜日
1冊の本
親子関係をさかのぼる話を書いたら、思いのほか反響があり、「うちはこんなだったな…」
と、自分の身を振り返ってかいつまんで伝えてくれた友人が何人かいた。
改めて、ありがとうございます。
そういった「生の声」を聞かせてもらったり、本やネットの掲示板を読んだりしていると、
全員とは言わないが、実に多くの人が、大なり小なり何らかの寂しさや傷を抱えながら、
それと一緒に生きているんだな、ということがわかってくる。
そうやって、折り合いつけて乗り越えて前に進んでゆける人と、事あるごとにつまづいて
しまう人と、どこに違いがあるのだろう。
親や過去のせいにばっかりしていては、何も変わらないんじゃない?という意見もわから
なくもない。健気に這い上がれる人がたくさんいるのもわかる。
単純に、受けた傷の深さや状況の悲惨さと関連するのかとも思うが、状況の受け止め方や
持って生まれた気質によるところもあるかもしれない。
友人のひとりに、私の母の無関心エピソードをいくつか披露したところ、唖然としつつ、
「でも、ちゃんとやってくれてたんじゃないの?5時起きでお弁当作ってたって言ってた
じゃない。」と。
うん、さすがに子どもの食事の支度はやってくれていた。それすら放棄されたら、保護を
求めてどこかに駆け込むレベルかも…。そこまで極悪ではなかった、ってだけのこと。
衣食住には事欠いてなかったし、進学も下宿も旅行もさせてもらえたけど、それでもなお
何かが絶対的に欠けていたと感じてしまうことは、おかしいかな?
今の今まで忘れていた。
『自分を好きになる本』という本をもらったこと。
いろいろな歪みが噴出した学生時代、抑うつ症で一時休学したことがあるのだが、その際も
「そばにいたら共鳴して(?)引きずられるから」と、最低限の食事の用意と通院付き添い
以外はノータッチ、コミュニケーションはほとんどなかった。
受診の後になぜだかポロポロ泣けてきたときも、小さいタオル一枚手渡されただけ。
温かい言葉も包容もあったもんじゃない。
(初夏〜夏だったから、暑苦しかったのかな?…なんて好意的に捉えてみたり ^^;)
そんな母にも、というか、そんな母だったからこそ、私の自己肯定感が低いこととそれが
育ちに起因することは痛いほどわかっていたのだろう。で、『自分を好きになる本』。
振り返ってみれば、ぶっちゃけ、あんま沁み入ってこなかった…。
例えて言うなら、インフルで寝込んでいるのに、「ここに雑炊の材料あるからね(自分で
作ってちょ)」とアッサリ言われるような。
買ってきてくれたことはありがたいですよ、でも…的な。
本当は、どんなによく書けた本よりももっとうんと効きそうなものがあったんだ。
理解と慰めの一言とか、肩や背中をたったひと撫でとか…。
(あのN先生が瞬時に察知して与えて下さったようなもの…。)
でも、母にはどう頑張っても与えられなかったんだろう。
母自身もつらい時期だったろうし(あなたよりお母さんの方が入院した方がいいですよ!
と医者に言われた)、そう割り切って、受け止めてもらえなかったことを許すもよし、
許さないもよし。自分の中で折り合いさえつけられれば、先に進んで行ける、のかな。
「欠落した部分にフォーカスするのはどうかな? 足りないものじゃなく、今あるものに
意識を向けようよ」という声もある。
それもわかる、わかるんだよ…。子どもがいなかった時は、そんな感じでだましだまし、
どうにかいけてたんだ。
でも、我が子を目の前にして、まさか同じことを反芻してしまうのか…?という恐怖に
さらされたら、そうなる前に解明しないと!!と、切羽も詰まるってもんです。
「自分を育てよう」なんてさらっと書いちゃったけど、我が子の子育て同様、一筋縄には
いかないなー。
デジカメ本体のメモリーから、すんごい前の写真が出てきた。こまめ2才。
「ぽや〜んとしつつも、きかん気が強い」という気質がすでに表れてますな。
と、自分の身を振り返ってかいつまんで伝えてくれた友人が何人かいた。
改めて、ありがとうございます。
そういった「生の声」を聞かせてもらったり、本やネットの掲示板を読んだりしていると、
全員とは言わないが、実に多くの人が、大なり小なり何らかの寂しさや傷を抱えながら、
それと一緒に生きているんだな、ということがわかってくる。
そうやって、折り合いつけて乗り越えて前に進んでゆける人と、事あるごとにつまづいて
しまう人と、どこに違いがあるのだろう。
親や過去のせいにばっかりしていては、何も変わらないんじゃない?という意見もわから
なくもない。健気に這い上がれる人がたくさんいるのもわかる。
単純に、受けた傷の深さや状況の悲惨さと関連するのかとも思うが、状況の受け止め方や
持って生まれた気質によるところもあるかもしれない。
友人のひとりに、私の母の無関心エピソードをいくつか披露したところ、唖然としつつ、
「でも、ちゃんとやってくれてたんじゃないの?5時起きでお弁当作ってたって言ってた
じゃない。」と。
うん、さすがに子どもの食事の支度はやってくれていた。それすら放棄されたら、保護を
求めてどこかに駆け込むレベルかも…。そこまで極悪ではなかった、ってだけのこと。
衣食住には事欠いてなかったし、進学も下宿も旅行もさせてもらえたけど、それでもなお
何かが絶対的に欠けていたと感じてしまうことは、おかしいかな?
今の今まで忘れていた。
『自分を好きになる本』という本をもらったこと。
いろいろな歪みが噴出した学生時代、抑うつ症で一時休学したことがあるのだが、その際も
「そばにいたら共鳴して(?)引きずられるから」と、最低限の食事の用意と通院付き添い
以外はノータッチ、コミュニケーションはほとんどなかった。
受診の後になぜだかポロポロ泣けてきたときも、小さいタオル一枚手渡されただけ。
温かい言葉も包容もあったもんじゃない。
(初夏〜夏だったから、暑苦しかったのかな?…なんて好意的に捉えてみたり ^^;)
そんな母にも、というか、そんな母だったからこそ、私の自己肯定感が低いこととそれが
育ちに起因することは痛いほどわかっていたのだろう。で、『自分を好きになる本』。
振り返ってみれば、ぶっちゃけ、あんま沁み入ってこなかった…。
例えて言うなら、インフルで寝込んでいるのに、「ここに雑炊の材料あるからね(自分で
作ってちょ)」とアッサリ言われるような。
買ってきてくれたことはありがたいですよ、でも…的な。
本当は、どんなによく書けた本よりももっとうんと効きそうなものがあったんだ。
理解と慰めの一言とか、肩や背中をたったひと撫でとか…。
(あのN先生が瞬時に察知して与えて下さったようなもの…。)
でも、母にはどう頑張っても与えられなかったんだろう。
母自身もつらい時期だったろうし(あなたよりお母さんの方が入院した方がいいですよ!
と医者に言われた)、そう割り切って、受け止めてもらえなかったことを許すもよし、
許さないもよし。自分の中で折り合いさえつけられれば、先に進んで行ける、のかな。
「欠落した部分にフォーカスするのはどうかな? 足りないものじゃなく、今あるものに
意識を向けようよ」という声もある。
それもわかる、わかるんだよ…。子どもがいなかった時は、そんな感じでだましだまし、
どうにかいけてたんだ。
でも、我が子を目の前にして、まさか同じことを反芻してしまうのか…?という恐怖に
さらされたら、そうなる前に解明しないと!!と、切羽も詰まるってもんです。
「自分を育てよう」なんてさらっと書いちゃったけど、我が子の子育て同様、一筋縄には
いかないなー。
デジカメ本体のメモリーから、すんごい前の写真が出てきた。こまめ2才。
「ぽや〜んとしつつも、きかん気が強い」という気質がすでに表れてますな。
2013年7月14日日曜日
2家族で遊園地へ
小学校の友達 Pくん一家と前々から遊ぶ約束をしていた日。
家族ぐるみで遊ぶのも、これで3度目。
これまで、ライデン自然史博物館 Naturalis とアムステルダム科学博物館 NEMO へ行き、
いずれもとても楽しかった。
今回は、遊園地「Oud Valkeveen」へ!
去年の夏に補習校のお友達と行ってとても楽しかったところ。
(デジカメのメモリーカードを家に忘れてきてしまい、カメラ本体の微小なメモリーしか
ない状態。ほんの数枚しか撮れなかった…。)
10時の開園に合わせて待ち合わせ。
7才のこまめ&Pくん・4才のLちゃん・3才のごまめでは遊び方が少々ちがうので、
園内の豊富なアトラクションに適当に散らばったり一緒になったりしながら遊んだ。
絶叫系の乗り物も、ちびっこ向けの遊具も、家族で乗れる汽車や車も、あれもこれも、
一日かかっても遊びきれないくらいある。
お弁当の後は、日が射して夏らしくなってきたので、水着に着替えてビーチの方に移動。
子ども達が砂遊び&水遊びする間、大人はデッキチェアーでのんびりバカンス気分。
恒例の2家族でのお出かけ、実は、こまめが赤ちゃんの頃に読んだおじいちゃん先生の本
がきっかけなのだ。
「動物園など、どうせ行くならよその家族と一緒に行け」というようなことが書いてあり、
触発されて、当時こまめのクラス一番の仲良しのPくん一家を誘ってみたのが始まり。
うちと同じくIT関係のお父さんと、小学校教諭のお母さん、どちらもほのぼのした楽しい
人達で、子どもら4人はもちろんのこと、親同士もたくさん笑った一日だった。
(お父さんのEさんのすっとぼけぶりが尋常でないので、そのせいかも)
朝から晩まで一緒にいて気疲れしないなんて、なかなかないこっちゃ。
今回、ごまめがひとつ年上のLちゃんを友達として意識していたのが印象的だった。
帰りの道中は「こまめ&Pくん→Pくんちの車」「ごまめ&Lちゃん→うちの車」という
組み合わせ。自分のとなりにお友達が座っている!というのが初めてのことだったので、
めちゃ興奮&楽しくて仕方なかった様子。
ポテトが食べたい!!との熱烈コールにより、急遽Mドナルドで晩ごはんを食べることに
なり、食事中もLちゃんと組になって座ってウキウキ。
これはまったくの偶然なのだが、晩秋に入学したら、Lちゃんのいるクラスに入ることに
決まっている。頼もしいね、安心だね。
家族ぐるみで遊ぶのも、これで3度目。
これまで、ライデン自然史博物館 Naturalis とアムステルダム科学博物館 NEMO へ行き、
いずれもとても楽しかった。
今回は、遊園地「Oud Valkeveen」へ!
去年の夏に補習校のお友達と行ってとても楽しかったところ。
(デジカメのメモリーカードを家に忘れてきてしまい、カメラ本体の微小なメモリーしか
ない状態。ほんの数枚しか撮れなかった…。)
10時の開園に合わせて待ち合わせ。
7才のこまめ&Pくん・4才のLちゃん・3才のごまめでは遊び方が少々ちがうので、
園内の豊富なアトラクションに適当に散らばったり一緒になったりしながら遊んだ。
絶叫系の乗り物も、ちびっこ向けの遊具も、家族で乗れる汽車や車も、あれもこれも、
一日かかっても遊びきれないくらいある。
お弁当の後は、日が射して夏らしくなってきたので、水着に着替えてビーチの方に移動。
子ども達が砂遊び&水遊びする間、大人はデッキチェアーでのんびりバカンス気分。
恒例の2家族でのお出かけ、実は、こまめが赤ちゃんの頃に読んだおじいちゃん先生の本
がきっかけなのだ。
「動物園など、どうせ行くならよその家族と一緒に行け」というようなことが書いてあり、
触発されて、当時こまめのクラス一番の仲良しのPくん一家を誘ってみたのが始まり。
うちと同じくIT関係のお父さんと、小学校教諭のお母さん、どちらもほのぼのした楽しい
人達で、子どもら4人はもちろんのこと、親同士もたくさん笑った一日だった。
(お父さんのEさんのすっとぼけぶりが尋常でないので、そのせいかも)
朝から晩まで一緒にいて気疲れしないなんて、なかなかないこっちゃ。
今回、ごまめがひとつ年上のLちゃんを友達として意識していたのが印象的だった。
帰りの道中は「こまめ&Pくん→Pくんちの車」「ごまめ&Lちゃん→うちの車」という
組み合わせ。自分のとなりにお友達が座っている!というのが初めてのことだったので、
めちゃ興奮&楽しくて仕方なかった様子。
ポテトが食べたい!!との熱烈コールにより、急遽Mドナルドで晩ごはんを食べることに
なり、食事中もLちゃんと組になって座ってウキウキ。
これはまったくの偶然なのだが、晩秋に入学したら、Lちゃんのいるクラスに入ることに
決まっている。頼もしいね、安心だね。
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