今話題の「ゴーストライター(ゴーストコンポーザー)」について、夕食の席で振ってみた。
まずは、オランダ語でもゴーストライターは「Ghostwriter」とのこと。
日本語においてもしかり、敢えて自国語に置き換えなくても意味が通じるからだろう。
というか、こんなイメージピッタリの言葉、なかなかないよな。
次に、状況をざっと説明。
当事者の記者会見記事に始まり、かなり熱の入った憤りツイート、落ち着いた分析などなど
から伝わってきたことをかいつまむ。
(ちなみに、あちらこちら拾い読みした中では、仲山ひふみ氏の『聴くことの困難をめぐって』
というコラムが面白かった)
お父ちゃんの反応:
「もし自分がその音楽買ってたら、吐き気するかも。ひどすぎる!」
…つまり、音楽そのものでなく、周辺の「お話」が彼にとってはかなり重要らしい。
曰く、音楽と「お話」は切り離せないものであり、作者が汚れたことで作品が汚れた、と。
そういった「ふりかけ」と切り離して音楽を絶対的に評価する層もいなくもないのでは?などと返したりして、議論をすすめていった。
詐欺師本人の罪もさることながら、お涙頂戴の「いい話」につられがちな一般消費者や、
そこをついて商売してくるメディア関係とかはどうなん?とか。
不意にごまめが「Nee, dat is niet waar! (それはちがうよ!)」と参戦してきた。
「それはアブラカダブラなんだよ!」
親ふたり「?!」
「まほうつかいが…あーでこーで… こどもが…どーのこーの」と自説を披露し始めた。
というか、自分の知ってる「お話」を講釈してるわけ。かなり真剣。
父(ごまめなりに会話に入ろうとしてるんだなー、かわいいなー)
母(てか、実はめっちゃ的確やん)
つまり、悪い魔法使いの難を逃れる話の中心である「こども」はゴーストライター氏の
良心そのもので、メディアやマーケティングの呪文によって目をくらまされていた人々に
脱出の契機を与えた、と。
お父ちゃんは「いい魔法使い」に「いい魔法」をかけられたかったんだな。
4歳児の直観って侮れない。
父「で、キミはどう考えてるわけ?」
こまめ「ハァ??」
…まあそっちが普通の「子どもらしい」反応かもなあ。^^;
さて。
「お話」「ふりかけ」「魔法使いの呪文」抜きに、作品そのものを愛したり評価したりと
いうことが、自分の「好きなもの」の中にいったいどれくらいあるだろう?
芸術家の作品とマスプロダクションのメーカーの商品とでは話が若干ちがうかもしれないが、
それにしても「〇〇産」「××さんが作った」ということに必要以上にこだわることにも
落とし穴がひそんでいるということだ。
モンドセレクションみたいな、効力があるんだかないんだかさっぱりわからないような
魔法も中にはあるけれど。
学生時代にブランディングについて聞きかじった身としては、考えさせられることが多い。
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