2011年2月6日日曜日

よちよち、とことことこ

朝起きてすぐトイレに行ったこまめ、壁のタイルを数えて「91枚あった」と。(実際は88枚)
昨夜もこけしちゃんのイラストを100個以上を数えていたらしい。
かぞえブームなのか、数の敏感期なのか?
何にせよ、平日の朝にトイレにこもって数えるのは控えていただきたい(笑)

朝ごはんの後、YouTubeで『ラジオ体操』と『おなら体操』。
ラジオ体操はすっかり身体にしみついているので自動的にできてしまうのだが、おなら体操は
難易度が高い。

母が洗い物をする間、童謡ソングブックのカラオケバージョンで歌っていたこまめ。
ところどころ自己流解釈な歌詞もあるが、わりと歌えていた。


午前中の取り組み:

   学校での約束事、おじぎの仕方、ライフセーバーの仕事など。

・爪切りついでに、指の呼称おさらい

・カレンダーで日付確認

・ひらがな表 音読

  とり(10)


・トミーの教材より:
  ひらがな線結び 生き物(2枚)、お天気、基本動詞(2枚)、道具
   途中、こまめに指摘されて日付の書き方を修正。
   それまではオランダ式に「6-2-2011」としていたのを、「2011.2.6.」に改める。

上記プリントを6枚もやったね!と話したついでに、助数詞が出て来る『いっぽんでもにんじん』
をYouTubeで見る。

  タングラム遊び:きつね、さかな2種、こいのぼり、ねこ。
   きつねはひとりでできた!あとは補助線入りの図(要するに回答)を見ながら。
   ちょっとレベルが高すぎて大人でも考え込んでしまうような問題もあるので、入門編
   として2〜3ピースのみ使った簡単な練習問題を用意してやった方がいいかもしれない。
   まずは「タングラム的思考」に慣れさせることから。

・読み聞かせ
 『やぎさんのひっこし』
   いつもの「絵本ナビ」で発見できなかったので、アマゾンで検索してみたところ、「古書」
   の扱いだった…。母の子ども時代の本(1976年刊)は古書の部類ですか…。
   先頃亡くなった佐野洋子の絵。


昼ごはんの後、またまたかるた対決(『ぐりとぐらかるた』)。
1回戦は9対16で父の勝ち。札を放り投げてふてくされるこまめ。
気を取り直して2回戦は16対9、今度はこまめの勝ち。気を良くして父に握手など求めている。


夕方、赤ちゃん絵本『くつくつ あるけ』を試しにこまめと読んでみた。
1ページが3行程度で、同じ文字の繰り返しも多く、読みやすそうな感じで、これならいける
かな?と思い切ってチャレンジしてみたのだ。
知らない字や促音などの読み方をフォローしつつ、疲れて集中力が切れるまで、案外読めた。
今度は疲れていない時にやってみよう。1冊読めた!という達成感は、次への大きな励みに
なるだろうから。
後で気付いたが、この本の「転んでは起き…」のよちよち歩きは、まさに今こまめが文字の
世界を歩み始めた姿そのものではないか。ガンバレ、ガンバレ!

モンテッソーリ

こまめの通う小学校は、オランダのモンテッソーリ小学校である。

4歳に始まる小学校が自由に選べる、ということで、こまめが2歳半の頃にリサーチを開始した。
歩いて5分の所にあるニュートラルな公立小学校は、知人の評判もイマイチで、教育監査庁の
公開レポートも要観察ということだった。パッと見た施設の印象もあまり良くなかったので、
それなら…と、市内全域に視野を広げてみることにした。
我が家は無宗教なので、キリスト教は教養としては知っておいたらいいと思うが、初等教育の
背景となる世界観としてはどうか、と思ったので却下。
いろいろある教育法の中で目をひいたのがモンテッソーリだった。

モンテッソーリ教育については、ウィキペディアによると以下のような定義がなされている。

  20世紀はじめにマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
  イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは、知的障害児へ
  感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児
  を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。

何が独特かというと、まずその理念。子どもの中の自発性に重きがおかれている。

  どの子どもにもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人は
  この知的好奇心が自発的に現れるよう、子どもに「自由な環境」を提供することを重要視
  した。
  また、子どもを観察するうち、月齢、年齢ごとに子ども達の興味の対象がつぎつぎ移り
  変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期
  があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。
  モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子ども達
  の「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである。

そして、その理念を実現するに当たって使われるのが、独特の「教具」。

  教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。
  これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが
  開発した。
  モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、
  子ども達の繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。
  また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具
  を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。

このようなモンテッソーリ独自の環境と、3年齢共存のクラス編制にも魅力を感じた。
現在こまめが在籍している低学年クラスには、4〜6歳児がいる。まずは一番おちびさんとして
入り、いつかはお世話を焼く側に立つというお膳立ては、当時まだ一人っ子だったこまめには
豊かな社会性を育てる上でとても重要になると確信したのだ。

さて、そうして家から通えそうな所にあった2つのモンテッソーリ小学校に見学に行き、実際に
その「教具」を手に取って試してみることができた。
なるほど、緻密な知育玩具といった感じで、面白い。(画像)
こんな風に世界の成り立ちの基礎が学べるのなら、私ももう一回小学校からやり直したい(笑)
と思うくらい、その魅力にとりつかれてしまったのだった。
幸い父も同意見だったので、2つの学校のうち、バイリンガル或は多文化背景を持つ子らとの
経験が多く、そして体育館などの施設も充実している方の学校に決めた。

実際に通い始め、はじめの頃は遊んでばかりだったようだが、考えてみれば幼稚園の時期なの
だから、それも必要と気にしなかった。
ここ半年ほどで課題にも精を出すようになったようで、時々放課後に見せてくれる作品は多彩だ。
「100ボード」という1から100まで書かれたコマを順々に並べる盤などの「いかにも算数の
基礎になっているな」というものから、指先を使ったお仕事を重んじるモンテッソーリならでは
の刺繍作品まである。
そういった課題を「全員一緒に、さあやりましょう」ではなく、各自の選択で好きな順番にやる。
順序は様々でも、ひととおりどのタイプの課題もまんべんなく手がけるよう、先生がチェック
してくれている。

考えてみたらすごいことである。担任の先生一人につき生徒は25〜30人ほどいるのである。
もちろん、このような自由課題の時間だけでなく、全員で取り組む授業もある。
最近では、「五感」というテーマに合わせて、目の見えない人が来て点字や盲導犬について
話してくれたり、耳の聴こえない人が来て手話を教えてくれたりしたそうだ。

生徒各自の興味とペースに合わせた授業というのは、非常に魅力的である反面、やはり相性
というのもあるようで、合わない子も中にはいるらしい。例えば、自分から率先して選んで
行くことのできない子、あれやこれやお膳立てしてもらってガンガン詰め込まれる方が性に
合っている子、など。(そういった子にこそ自立と自律を促す教育法が必要にも思えるが)
公立学校としての基準を満たすためには、ある程度反復練習のようなことも欠かせないので、
そのバランスが難しいのだとも聞いた。

我が家での日本語学習の取り組みは、時間をかけてとはいえ、大量の文字暗記を前提として
おり、ややもするとドリルなどを使用した詰め込みに偏りかねない。
少なくとも学校生活では上記のような活動をしてきているので、程々にバランスが取れて
良いかな、とも思いつつ、やはり家でもできるだけ柔軟な思いつきを混ぜて、遊びの要素、
楽しいワークショップのような側面も盛り込みたいと思っている。モンテッソーリメソッド
という長年の蓄積に裏付けされた素晴らしいお手本もあるのだから。

2011年2月5日土曜日

絵日記 事始め

昨日、寝る前にひとりでひらがなワーク「さ」の色ぬりを色鉛筆でやったようだ。
これまで毛嫌いしていた黒やグレーを使ってある。今は好き、とかのたまう。
どういった心境の変化か?おそらくは友達の影響。


午前中の取り組み:

   前回見たのと同じ回(「整理整頓」)を、片付けられない父にも見せた。

・ひらがな表 音読

・カレンダーで日付確認

・めいろ 2枚


・お習字
   お絵描き用のスケッチ用紙と、彩色筆のやや太めの丸筆で、書道のまねごとをやってみた。
   墨と硯も持ってはいるのだが、万一汚したらややこしそうなので、透明水彩絵の具の黒で。
   見本を書いてやり、はじめは手を添えて、それから自分で書かせた。
   左利きなのでちょっと運筆がやっかいだが、右に持ち替えるよりいいというのでそのまま。
   鉛筆とはちがった筆の持ち方や、留めやはらいのことなども、書きながら説明。

   残った絵の具で絵も描きたいというので好きに描かせた。下はそのうちの1枚。

   リンゴの木と2匹の蛇…アダムとイブの楽園伝説??
   聞いてみたところ、夢に出て来たことがあると言っていた。
   何やら深層心理と関係ありそうな…。

   約半分の札を使って、父と対戦。
   結果は、1回戦:14対8、2回戦:13対10 で、どちらもこまめの勝ち。

   上記かるたと同じく、フリーマーケットで入手したもの。
   かわいい絵がヒントになっていて、時々は答えられるが、まだまだ難しそう。

   ごめんなさいとあやまれること、正座の仕方、人力車のお仕事など。


昼食後、デザートに皆でリンゴを皮付きのままかじった。
皮についていた丸いシールをカレンダーの今日のところに貼ってみたこまめ。
後で、みんなが食べたことを書いておきたいと言う。
しめた!「絵日記」を導入する絶妙のチャンス!
早速、絵日記用紙をプリントアウトして、使い方を説明。
食卓を囲む4人、というのをどうやって絵にするかな…?と思っていたら、こうなった。

横で見ていたわけではないのだが、テーブルから描き始め、次に椅子、それから人物、と描き
すすめたようだ。まだ「横顔」という概念がないので、顔はテキトー。
下の文章や天気の欄は母がひらがなで記入。声に出して一緒に読む。

その後、何やら書き物にいそしむふたり。

こまめが作っていたのはカレンダー。
1ヵ月72日で2倍お得…?
今日の日付のところにはリンゴマークが描いてある。
それにしても、几帳面な筆跡だなあ…。


晩ごはんの後、読み聞かせ。
 『あな』

その後、『Kimono』という、こけしの女の子が出て来る仕掛け絵本(オランダ語)を父と
読んでいた。
こういうこけしキャラ、数年前からフランスやドイツなど各国でブームだったようだ。ようやく
その波がオランダまでたどり着いたという感じで、女の子向けの文房具などもよく見かける。
すっかり浸透したキティちゃんが日本発なのを知る人は少ないが、さすがにスシ・キモノは日本
のものと理解されている。
子ども達にも親しめる形で日本文化(の一面)の認知度が上がって行くのはいいことだ。
キャラクター商品だけだと曲解のおそれがなくもないのだけれど(ロシア人男性は皆コサック
ダンスをするのか、みたいな)、幸いこの本では日本の生活様式や挨拶(今日は)なども紹介
されている。

2011年2月4日金曜日

みんなちがってみんないい

放課後、クラスの女の子とそのお母さんが来て、一緒におやつを食べ、遊んで行く。
2階の子供部屋でお姫様や妖精の衣装を着てごっこ遊びをしていた様子。
母達は階下でお茶を飲みながらおしゃべり。

例のドイツ育ちのオランダ人のお母さんと、異文化の中で育つことについてなど話す。
彼女は両親がオランダ人で、つまり駐在家庭のような感じだったようだ。
いつしかドイツ語があまり快い言語とは思えなくなった…と言ったので、ご両親の態度が影響
していたのでは?と聞いてみたところ、あからさまにドイツ(人・語)を見下すような感じでは
なかったが、明らかにオランダに好意的肯定的ではあった、と言っていた。

そうは言っても、オランダに住むことになり子を持つことになったら今度はオランダ的な態度
にイライラしたりしっくり来なかったりすることもあるという。
まあそれは人に対するのと同じで、国や文化にも長所短所いろいろあるから当然だろう。
その長所短所というのも絶対的なものではなく、ある観点に立って見た場合における限定的な
価値判断で、相性のような側面もある。私だって日本のいい所悪い所いろいろ感じるから、
それはよくわかる。

ただ、そういった親の価値基準が子どもに影響する度合いというのは軽視すべきでないと思う。
特に幼ければ幼いほどその影響力は多大である。
そのような多感な時期に「日本とオランダ、どっちもいいね」という肯定的なイメージを植え
付けることができたら、後々自分のルーツについて考える時などにプラスに働くのではないか、
と想像する。
もちろん現実として「日本はここがダメ、オランダはここがイヤ」ということもあるわけなのだ
が、それをあえて親が提示する必要はないというか、そちらは本人の体験からくる実感に任せて
しまって良いと思う。

そして、何よりも大事なのが、「どちらかを選ぶ必要はない」という態度を親が持ち続けること。
居住国は「たまたま」オランダだが、だからといって日本のことを否定するわけでも「遠い外国」
として彼方に押しやってしまうのでもなく、日本語を熱心にやるからといってオランダ語を拒絶
するわけでもない。
そういった姿勢を、親の背中を見て育つ子どもに示していきたいと思う。


そんなこんなで、本日の取り組みは、

・童謡動画メドレー

・ひらがな表 音読

…のみ。
いろいろ時間の取れる週末が待ち遠しい!

オランダの保育園・幼稚園

先日、オランダの小学校について触れたので、その前段階である保育園・幼稚園についても少々。

オランダでは、両親が働いていて赤ちゃんの頃から保育園(Kinderdagverblijf)に預けられている
というのでなければ、2歳半前後から幼稚園(Peuterspeelzaal)に通うのが一般的である。

保育園が親の勤務時間に合わせて朝から夕方までの長時間なのに対し、幼稚園は午前中(9時頃
〜11時半)か午後(1時〜3時)の短時間プログラム。
幼稚園では果物やビスケットなどのおやつを一緒に食べることはあっても食事はしないので、
お昼の前か後、という時間設定なのだ。週に2〜3日を選択して通う。

保育園には各年齢ごとに分かれたグループと、赤ちゃんから小学校に通い出す4歳までの子を
集めた縦割りグループとがある。
幼稚園は、2歳半から4歳直前までが一緒に活動する。

保育園では食事やお昼寝などの基本生活と遊びの時間を集団で行うのに対し、短時間の幼稚園
では歌や工作、読み聞かせや外遊び、といった活動内容が中心である。
保母さんが「みんなのお母さん」的であるのに対し、幼稚園ではより「先生」的だ。

保育園に代わるものとして、日中数人の子を集めて有償で自宅で面倒をみてくれるOppas
(オッパス。文字通り、面倒を見ていてくれる人、という意味)に預けるという選択肢もある。
保育園に比べて少人数で家庭的なのが特徴で、自分のところの子育てに一段落した女性である
ことがほとんど。その場合、年齢に達した子ども達はOppasさんの元から幼稚園に通って来る。
そうすることで、小学校に通う前にある程度大きな集団での生活に慣れさせようというわけだ。

Oppas以外の家庭的保育のもうひとつの選択肢はAu Pair(オーペア)。
外国人の若い娘さんであることが多く、オランダ語やオランダ文化について学ぶために住み込み
で住居や食事を提供してもらう代わりに家事や子どもの面倒を見る、という、現代版の「ねえや」
である。


さて、我が家の場合。
こまめが1歳になる直前、「移民の市民化教育プログラム」のため通学せよとのお達しが私の
元に来たので、こまめを保育園に預けねばならなかった。(ちなみにその際の保育園の経費の
一部と学費、教材費、交通費、国家試験料はすべて市によってまかなわれた)
しかしその通知は突然だった上に来月から講座に参加しろ、との内容で、こまめをどうしようか、
少々慌てた。

通常保育園には長い長いウェイティングリストがあり、妊娠中から登録しておかないと産後数ヶ月
での職場復帰に間に合わない。こまめが近所の保育園の縦割りグループに即刻入所できたのは
例外中の例外、ラッキーだった。

その保育園は同じ施設内に幼稚園も併設している所だったので、母の通学に合わせた1年間という
契約期間が切れた後、通常の2歳半よりは幼い1歳11ヵ月ではあったが、場所にも集団生活にも
慣れているしいいですよ、とのことで、そのまま幼稚園にスイッチすることになった。
そこで小学校が始まるまでの2年間、週に3日、楽しく過ごさせてもらった。毎度毎度、連れて
帰るのに苦労したほどである。

母にとっても、気のいい先生やお母さん仲間との出会いは、小学校という「大きな世界」に出る
前の、居心地の良い「小さな世界」という大事なステップだった。親もまた、子どもと共に少し
ずつ世界をひろげていくわけである。
こまめが「大きな世界」をずんずん切り拓いていっている今、ごまめと共に再びあの「小さな
世界」に足を踏み入れるのを楽しみにしている。