こまめのクラスには、両親が離婚/死別した子が何人かいる。
それで、こまめなりに考えるところがあったのだろう。
就寝前に、父にこんなことを(オランダ語で)言っていたらしい。
あのね…
おとうさんとおかあさんが離婚してバラバラになっちゃうのは絶対イヤだけどね、
もし、もしそうなっちゃったとしたら、私、おかあさんといっしょに行く。
(父:なんで?)
なんでかっていうとね、日本語のお勉強、お父さんあんまりわからないでしょう。
(父:日本語のお勉強、好きなの?)
うーん、お勉強はそんなに好きじゃないけどね、学校(=補習校)が好きなの。
お勉強しないと学校には行けないでしょう。
だから、お母さんと一緒に住むことにして、お勉強がんばるの。
そうかー…。
「おかあさんは怒ってばっかりいるからイヤ!」とか言ってたから、意外な答えだけど、
学校がその理由と知って、納得。
日本語が、こまめと母とを結ぶものだった幼児期をとうに過ぎ、ひとまわり大きな世界と
自分とを結ぶものだと、わかっているのだな。
そしてその世界を、少なくとも今は、たのしい世界だと感じて大事にしているのだな…。
学校帰り、原っぱに寄り道して摘んできた花。
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