2013年6月29日土曜日

子のなかにひそむ天分

こまめの補習校通いは今学期限り、ということになった。

補習校での可能性、補習校以外での可能性、
現地校(モンテッソーリ小学校)の伸ばし方との兼ね合い、母子関係、などなど、
色々な側面から考慮した結果だ。



そもそも、家庭で楽しく始めた取り組みが、補習校という流れに乗ることでどう変わるか、

不安を抱えつつのスタートだった。
学校生活の楽しさはありつつも、お仕着せの(そして大量の)課題を負担に感じるこまめと、
ただただその課題を遂行させる係のようなものになり下がっていた自分に違和感も感じていた。
(お上に納める年貢米を取り立てるお代官様の気分というか…。ある意味、主体性がどこにも
なかったといえる)

現在の担任の先生のやり方には共感することが多いのだが、こまめの場合、個々の先生の

アプローチがどうこうではなく、「日本式の学校教育」という枠がもはや肌に合わないのだ
と結論づける他はない
スムーズにいくこともあるとはいえ、泣いたり怒ったりしていやがることが頻繁にあると
いうのは、やはり学習法が合っていないのだろう。
いやいやながら続けたところで、技術はそこそこ身に付くかもしれないが、気持ちのこもら
ない技術習得が果たして私たちの望むところか?というと、やはりそうではない。

日本にいてこのような学校が当たり前の環境だったら、適応するだけの力量はこまめには

あると思う。
ただ、今ここでベースとなっている学校生活が「自律・自立」をモットーに個々を伸ばす

ことに主眼をおいているので、文字しかり、文章の作法しかり、まず型を習得することに
多大な時間と労力をかける日本式とは相容れず、幼い心中に価値観の摩擦が生じ、折々に
炸裂してしまうのだと思われる。
どちらが正しいとかベターだとかいうことでなく、ただあまりにも相反するのだ。

ちなみに、モンテッソーリ式のやり方にはよく馴染んでいる様子で、縦割りクラス内での
緩やかな飛び級を示唆されたりもした。
母としてはせっかちに急ぐつもりは微塵もないが、ちょっと先に進んでみれば?というのが
可能な環境なのだ。
そのような特殊な小学校をあえて選んだのは、私の頭の片隅に日本式の学校教育に対する
疑問が多少なりともあったからではないか。
自分のような「指示待ち」「顔色伺い」「流され体質」にはなってほしくない、という希望も
あったのではないか。

「自分で選びとって築いてゆけるように」と願いつつ、その一方で「これこれのやり方を
なぞるように」とマニュアルからはみ出さない従順さを強要していたのでは、支離滅裂と
言われても仕方がない
相容れない世界観のいいとこ取りをしようとしてこまめを混乱に陥れていたのは、母である
私自身だったというわけ。

始めたことを途中で投げ出すようで、その点は気がひけるのだが、続けること(継続という
状態そのもの)に固執するあまり、こまめ本来の輝きを曇らせたり見失うことになっては
本末転倒だと思い至った。

たまたま手に取った、敬愛するおじいちゃん先生著書に、こうあった:


 「教育が、人間のなかにひそんでいる天分をみつけだし、そだてる事業であるとすれば、

  欠陥のある子ほど、教育者は熱意をもってむかわねばなりません。
  家庭教育の責任者である親は、その点では教育者の資格を十分そなえています。」
 

 「どんな子にも天分はあるのだ、それをみつけてやれないのは教育の力がたりないのだ」

こまめの天分ってなんだろう、と思いを巡らせた時、
それを開花させるのは補習校ではない
だろうし、このまま通い続けていたらしぼんでしまうようなものかもしれない…という結論に
至ったのだった。



来週が、最後の授業。
いろいろな世界があることを知ってもらう意味では、得難い体験だった。
2年間迷いながら通わせたことが、この先どう響いてくるかは、ずっと先にならないと
わからないだろう。
様々な状況の中、ずっと通い続ける人たちのことは、もちろん応援している。
また、色々な事情で通うことをやめてしまった人たち、
最初から通うという選択肢のなかった人たち
日本語を教えるということすらかなわぬ状況の人たち、
みんなみんな、それぞれの親と子のつながりが、健やかでありますように。
毛布のようにあたたかく、慈雨のようにうるおい、滋養に満ちたものの中で、子が育って
ゆけますように。
もし今がそうでないなら、そうなってゆきますように。

3 件のコメント:

  1. お母さんお疲れ!
    日本語を学ぶという事自体、子供が自ら選んだ環境じゃないからね。子供の中に摩擦が生じるのは必至。
    ただ、やめてしまった我が家の息子達の経験からいえる事は、学校を辞めると日本語から離れていくのもこれまた早い。

    でもまめ母さんならきちんと目標を持って、家でも指導してあげられると思うので頑張ってね。

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  2. 他にやり方があると思いますので、模索して下さい。
    要は、日本語と日本を嫌いにならないように育てる事です。
    息子は、小2で補習校をやめて、今中1だけど、日本語は不自由なく喋るし(敬語は
    ムリですけどね。だけど、ローラ程不届きな喋り方はしませんよ。)、
    日本が大好きです。
    ゆったり構えて、頑張って下さい。

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  3. >ひなさん
    ひなさんも、お兄ちゃんの時から、がんばったよね〜!
    で、「学校を辞めると日本語から離れていくのもこれまた早い」とのこと。
    具体的にはどんなふうなのかな?
    宿題から解放されて、親との会話以外の日本語に触れなくなった?
    習ったことをどんどん忘れるのは、もったいないけど仕方ないよね。
    逆に言うと、忘れずに残ることって、知識じゃなくて体験とか思い出なのかな。

    >おぷーさん
    はい、のんびりじっくり模索したいと思います。
    むしろそっちの方が、親子共々モチベーションを保てそうな気もします。
    こまめの得意なこと(習字、歌、絵、算数)を上手に取り入れて、
    きっかけ作りを柔軟にできたらな…ぐらいに考えています。
    「ゆったり構えて」、肝に銘じておきますね。
    勉強以外のことで小言連発してちょっとマズいぐらいですので…(汗)

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