2013年5月22日水曜日

日本語を選ぶ理由

週末のあいだ、胃腸の調子が悪く、臥せっていた。
(暖かくなったりまた冷え込んだり、妙な気候ゆえ、皆さんもご自愛ください…)

朝食後のテーブルの上に、こまめの宿題の「今日やっておくべきもの」を用意し、
ごまめも何かやるかな〜?と幼児ドリルをいくつか広げておいた。

ベッドで横になっていたら、父と一緒に張り切って取り組んでいる様子が聞こえてきた。
父曰く、ごまめが数字をたどる線なぞりをやっていたんだけども、
最初 een, twee... と言いかけて、「あっ。いち、に、さん…」と言い直したそう。
にほんごのほうが、おかあさん よろこぶからね。オランダごだと、おかあさん 
よろこばないからね。」と、父にわけを話していたらしい。

いやいや、別にオランダ語を毛嫌いしてるわけじゃないよ!
オランダ語禁止とも思ってないし、むしろ私以外の人とは積極的にオランダ語で話して
語彙と世界を広げてほしいと願っている。

ただ、こまめの時から一貫しているのは、
「オランダ語はそのうちそこら中で目にする、耳にする。世界を形づくる言葉として
当たり前のものになっていく。だから、せっかく幼年期に入ったちょこっとの日本語が
消えてしまわないように、ゆっくりでも伸びて広がっていくように、母と子の間では
徹底して日本語で話そう」という態度。

知らない言葉も多いし、オランダ語の世界で体験したことはオランダ語で再現しやすい
から、日本語の文中にオランダ語の単語が混ざることも多々ある。
そんな時も「あのねー、今日schoolbiebでね…」「ああ、図書室ね」みたいにいちいち
言い換えているから、母が日本語を好むというかそっちを使いたいという意思表示は
そりゃ伝わってるに決まってるよな。

母の歓心を買おうとか、そこまでは計算してないだろうけれど、母の喜ぶこと(=やると
認めてもらえること)をちゃんと意識して選別しているんだとわかって、意外というか
当然というか、なんせビックリ。考えてみたこともなかった。

待てよ?
AかBかを選ぶ時、自分の快を選ぶよりも親の快を選ぶっていうこと?
いや、そういう顔色をうかがうような卑屈っぽい感じではないな。
どっちかっていうと、人の快=自分の快って感じ方をするタイプなのかも。
「喜んでもらう→うれしい!→じゃ、もっとやろう」のループっていうか。

ごまめは元々モラル意識の高い子で、やっていいこと悪いことを非常に気にする。
(しかし情熱派でもあるので、癇癪爆発の激昂時はこれを例外とする。笑)
だから、出しちゃいけないものを出したり(大事なものの引き出しとか戸棚とか)、
乗ったら危ないところに乗ったり、そういう挑戦的なことはほとんどしてこなかった。
周りの人の感情の変化にも敏感な方だと思う。
で、言葉の学習ひとつとっても、そういった側面がちゃんと出ているとわかって、
非常に興味深い。

…って、よくよく考えてみたら、親の価値観次第でこの人の人生めっちゃダイレクトに
左右しそう。責任重大じゃー!
進路とかに際して、あんまりこちらの好みをゴチャゴチャ言わない方がいいのかも…。


臥せっている間に、父&こまめごまめがクッキーなんて作っていた。
ポレンタの粉の残りを使ったらしく、レモン風味で、食感も香りもかなり私好み☆
胃腸の調子さえ良ければ、ガツガツいってただろうな…。

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