銀河鉄道の旅の支度をしているようなのだ。まだたった2年と3ヵ月しか生きていないのに。
震災の1週間後、ちょうど街頭募金活動の準備がグングン密度と加速度を増してきていた頃、
突然下痢になり、その後拒食状態に陥ってしまったのだ。
それから1週間、ほとんど飲まず食わずで命をつないでいることがむしろ奇跡といってもいい。
タイミング悪くごまめも風邪で発熱し、ポスター制作やビラ配り(メンバーの中でたった一人
平日昼間に動ける専業主婦なのだ)、こまめの学校の発表会の衣装の準備なども重なり、思う
ようにそばにいてあげられない。
獣医さんでもらったお薬も、効いているのだかいないのだかよくわからない。
段々と動きが鈍くなってきているというのに、なすすべもない。
昼間一緒にいられない分、夜を一緒に過ごそうと、昨夜はケージのとなりで過ごした。
板の間に座布団を敷いて、ガウンと毛布と寝袋にくるまって寝たのだが、それでもなんだか
寒かった。就寝時間までは暖房がついていて気密性の高い我が家でさえこうである。被災地の
避難所ではどんなにか休みづらいことだろう。
クロちゃんを思っての行動だったのだが、計らずも思いがあちらに直結した。
こわばりまくった身体と霞のかかった頭を、熱いシャワーとカフェオレとで何とかまともに
機能するよう調整したのだったが、それすらかなわない場所で、そんな日々の連続で、近しい
者の安否に絶大な不安を抱きながら、或いは喪失感のどん底に沈みながら、余震の恐怖に怯え
る中で、明るい気持ちを保つということがいかに難しいか。冷や水を頭から浴びせられたかの
ように思い知らされたのだった。
募金活動の準備なんかに走り回って、ちょっといいことをしているような気になって、
思い上がっていたのではないか?
人の為になることをしようと心がけているつもりで、その実、足下の小さないのちすら
守り切れていないではないか?
単なる偶然かもしれない。
しかし、このタイミングでこの状況。
「謙虚になれ」と、クロちゃんが渾身のメッセージを発信しているように思えてならない。
人の痛みに寄り添うとはどういうことか。
この年になっても想像力と思いやりに欠けたところのある私は、小さなクロちゃんのいのちの
重みから、たくさん学ばなければならない。
こういうことを書いている場合ではないのかもしれない。
けれど、今こう感じていることを、頭と心にしっかり刻み込んでおく為に、あえて書きとめて
おくことにした。
クロちゃん、お願いだから、まだ行かないで。
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