ごまめの二足歩行率がどんどん上がってきた。
もはや「ホモ・サピエンス」と呼んでも差し支えないレベル!
まだポテッと尻もちをついたりつまづいたりすることも多く、便利なハイハイを奥の手として
使うこともちょいちょいあるが、手をつないで近所をグルッと散歩したり、近くのスーパーへ
徒歩で買物に行ったりできるまでになった。
散歩しながら、初めはおとなしく手をつないでいたのだが、慣れてくるに従って「いや!」と
拒否するようになってきた。勝手気ままに歩きたいわけね。
穏やかなこまめとちがって、ごまめは意思表示が本当にハッキリしている。そして堅固。
今は性格のちがいに目を細めたりしていられるが、文字のおけいこなどの取り組みを始める頃
にはこの「勝手気ままさ」と「堅固な意思」に頭を抱えているんではなかろうか??
こまめとのやり方とはちがう、対ごまめ用のアプローチを考案しないといけないかもなあ。
さて、そんな散歩中にも、こまめと暗唱。
「朝花火 海水浴の人出かな」(高浜虚子)
先週も今週もちっとも夏らしいムードではないが、言霊というか、脳内イメージだけでも…。
散歩のお土産は、栗の赤ちゃん。
歩道の脇に生えていた木から、こまめが知らない間にもいでいた。
小さくて、まだイガもほやほやと柔らかい。よく見ると「つむじ」がいくつかに分かれている
ようだ。
帰宅後の取り組み:
・めいろ
・カタカナ表音読
・ひらがなめいろ:ゆびのなまえ
・音読『こねこのぴっち』続き → 完読!
こまめにしてみたらかなり長いお話だったが、数回に分けて頑張った。
字の多さに腰が引けそうになっているのがわかったので、意識して助け舟を出した。
「えっ…どうなるのかな?!次、めくってみよう!」とか、「ああ〜…かわいそうに」
とか、ちょっと大げさなぐらいの合いの手を入れて話を盛り上げてみたのだ。
挿し絵のディテールに見入る時間もしっかりとる。○○はどこにいるかな?など質問を
出してみることもある。
ほんのちょっとのことで物語が何倍にも生き生きする、すると次の文が読みたくなる。
そうやってみるみる引き込まれていくうちに、どうにか最後のページにたどり着いた。
今こうやって手取り足取りやっていることはすべて、いずれこちらが一切干渉せずとも勝手に
本を読んだりメールでやりとりしたりして下さいよ、との目論見からだ。親心、もしくは下心
と言ってもいい。突き放すために構いまくっているわけである。
今日のごまめのように、母の手をふりほどいて歩いて行ってしまう日が来るだろうか…?
うちは今日ようやく長い時間手をつないでくれて、成長したと思ったよ!
返信削除>ぺっぺんさん
返信削除数ヵ月経って「自分で歩くもん!」の新鮮味が薄れると、そういう方向の成長が
見られるのか…。
或いは、性格もあるかもしれないね〜。