2015年3月21日土曜日

進級の季節

日本の年度末に合わせ、地元の学習グループの修了式があった。


(こまめよ、その態度は… (#^ω^)ピキピキ

修了証を神妙な面持ちで受け取るごまめ。


4月から年長さんになるごまめのクラスは、まあ楽しくやってくれれば内容は問わず!と
思っていたのだけれど、先生役のお母さんがとても真摯な方で、きめ細かく考えて丁寧な
授業をして下さった。ありがたいことだ。

次回から新1年生になるクラスの子達にとっては、この春は特に大きな節目。
これを機にやめてしまう子もいて、ちょっとしんみりもした。

2年生から3年生に上がるこまめのクラスは、いわゆる9歳の壁に直面する年齢の子達の
集まりで、生活や学習の習慣、興味の対象などの開きがこれまで以上に感じられるように
なってきた。
性格的な積極性の有無、その積極性を発揮する場面なんかにも個性が表れる。
子ども達本人の意欲のレベルとその表現方法のばらつきもさることながら、お母さん達の
考え方やり方も様々で、少人数ボランティア制の寺子屋に見出す目的も微妙に違う。
そこをうまくすりあわせて、仲間がいて一緒に学べることの喜びを共有できれば何より
なのだけれど、さて具体的に授業計画を練る段になるとこれがなかなか厄介だ。

何を目標に、どこに照準を合わせるか?
使うツールはどれが最適か?
結局、取捨選択の基準は教鞭を取る担当のお母さんの方針と能力に左右される。

2週に一度、土曜日の午前中2時間を使って授業するこのグループ。
どこのクラスもお母さんが2人一組で指導役になっていて、1人が主担任・もう1人が補助
という形が多い。
4月からこまめのクラスに参入することになった私は、安定してしっかり指導してくれる
主担任のお母さんに国語の時間(30分)と読み聞かせ(15分)をこれまで通りお任せしつつ、
授業前の朝の会(30分)と副教科(20分)を担当することになっている。
主担任の先生が教科書を使って基本に忠実な授業を展開するのと並んで、同じ題材をいかに
豊かに膨らませられるか、脱線という名の展開をワクワクしながら考案中なのだ。

補習校継続を断念した時にも痛感したことなのだが、自分という人間にとって、この、
遊び心というか、面白さをとことん突き詰めたいという欲求はかなり強く大切なようで、
技術や情報の伝達や解説にとどまらない「知る喜びを一緒に味わう」瞬間を、主体性の
ある形で子どもに伝えるということが、何よりの挑戦であり醍醐味だと思っている。

ぶっちゃけ、教科書をネタ本扱いしてどこまで脱線できるか、今から楽しみでしょうがない。

例えば、有名な金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」を2学期に扱う予定になっているが、
真っ当な吟味は主担任の先生にお任せするとして、自分がインスピレーションを得たのは
出だしの「私が両手を広げても お空はちっとも飛べないが」という部分。
そこで、鳥人間と飛行機という二つのソリューションを人間は作り上げた。
その話を紹介しつつ、手の延長・足の延長・目の延長などとして発明され洗練されてきた
デバイスにはどんなものがあるか、子ども達に考えてみてほしいと思っている。

あるいは、俳句を扱う授業では、これまた有名な「菜の花や 月は東に 日は西に」という句
から、菜の花の観察、あるいは、方角と天体の話なんかもできそうだなあ、と。

四角四面な教科書はちっとも好きではないのだが、題材の幅広さはぜひとも利用したい。
さてはて、5人の子ども達(男の子2人・女の子3人)がどこまで食い付いてくれるか?

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