2012年11月30日金曜日

書くこと

このところごまめのこと続きだったので、たまにはこまめのことも。

強烈な反抗期の兆候はナリをひそめてきたものの、やはりちょっとしたことでプンスカと
腹を立てたりして、「揺れるお年頃」なことには変わりなし。
特に、母と一緒に宿題をやるのに気乗りしないよう。
ま、気持ちはわからんでもないけどね…。
私も自分の母親に教えを請うのがなんだか屈辱的で、涙目だったし。(高校生の頃の話…)
「なんかムカつく」んでしょう、きっと。

で、勉強は父と一緒にやりたい、と言うので、漢字の練習や計算練習など私の口添えなし
でもできそうなものは、ごまめをお風呂に入れたり寝かしつけたりしている間に、やって
もらうことにした。
父も傍らでひらがなやカタカナの練習をしているそうで、なかなか和気あいあいとやって
いるらしい。親子でもなく、教師生徒でもなく、同志的なムードなのかも。
音読するのを聞いたり、文章を考えたりするのは私と一緒でないとできないので、そういう
のだけ手伝うようになった。

補習校に通い始めた頃からのジレンマはずっと続いている。
宿題の量とこまめのペースのバランスがカツカツなことから、宿題以外の「楽しいお勉強」
に時間を割くことがむずかしい、ということ。
学校で教わることが全てじゃないのに、優先的にこなさねばならない課題に押しつぶされて
しまっては、日本語の楽しさから遠ざかってしまうのでは…という懸念がずっとある。

今週の作文課題は、先週の行事(学習発表会での詩の群読)について書くというものだった。
「…こりゃ書きにくそうだな」と直観した。
「〇〇しました」「こう思いました」などのお定まりの形式を膨らませるには、本人の
感慨が少なすぎでは…と。
案の定、幾多の助け舟も甲斐なく撃沈。とうとう書くことを拒否するに至った。

そこで、ひと思案。
無理して書かせることはせず(無理なもんは無理!)、日を改めた上で「代わりにお手紙
でも書いてみる?」と提案してみたら…
「うん、やるやる!」と乗ってきた。
宛先は、体験入学でお世話になった小学校。


手紙らしい決まり文句、こまめのアイデア、いろいろ織り交ぜて一緒に文面を考えながら
書くのは、私も楽しかった。
漢字やカタカナも含め、これだけ「書ける」ということがわかったのは、大きな収穫。
達成感も味わえたのではないかと思う。

下書きの原稿用紙を宿題の「代打」として補習校に提出することにして、便箋に清書した
分は、こまめの写真&オランダのカレンダーと一緒に送る予定。


書くことの勉強をしているのは何のためなのか、自分たちにとっての本質を見極めないと、
こまめも私も息が詰まってしまう。
何かの感想文が上手に書けずとも、誰かへの思いを形にして伝えることができたら、それは
ひとつの大きな実りではないか?

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