2012年2月29日水曜日

算数のことば

春休みなので、午前中にさくっと取り組み。
プリントの類、時計の読み方の練習、音読など。

今日は1年生向けの算数の問題をいくつかやってみた。
足し算、引き算、長さ比べ、10より大きい数。

計算は、10までの数の繰り上がりのないものなら、足し算でも引き算でもサクサクやる。
現地校でもすでにやっているので、どってことなさそうな感じ。
ところが、問題文の質問の仕方に慣れていないので、それでつまづくことがわかった。

助詞に足をすくわれたり、


問いの意味がさっぱりわからなかったり。


最初、正しくむすべていたのだが、計算をした形跡がどこにもなかった。
不審に思って根拠を問いただしてみたところ、「なんとなく~」とな。
勘で合ってるからタチが悪いぜよ…。


思い当たったのは、以前日本で日蘭ハーフの子の家庭教師をした時のこと。
教え始めたのはその子が小学校2年生の頃で、まさに上記の点で苦労していた。
日本在住で、お父さんは日本人、日中接するお母さんはオランダ人。
外では日本語、オランダ語は継承語…という、我が家を鏡で反転したような状況だった。

そこのお宅では父母間の会話が英語だったので、家で日本語に接する機会がやや少なかった
のかもしれない。
とにかく、算数の文章問題でつまづいていた。
具体的にどうやって乗り越えたのか覚えていないけれど、いつも授業時間の半分ほどを雑談に
費やしていた。こちらは完全に聞き役。
現地語(=日本語)でたわいもないことを話す、そのことに飢えていたのだろう。
根気よく聞いてくれる相手というのも、いそうでいないものだ。きっとその辺にヒントがある
のだろうと思う。


こまめの場合、計算問題に取り組む際、頭の中では何語を使ってやっているのかわからない。
ぶっちゃけ、オランダ語でスラスラできるなら、それでちっともかまわない。
私も数字がらみのことは日本語でしかできないけれど、それで困るようなことも特にないし。
あとは、こまめの場合、日本の学校に期間限定でおじゃますることはあれど、受験などで必要
になることはおそらくないと思う。
計算に限らず、年齢相応の思考を深めたり広げたりしていけるようなら、どちらの言語でも
いいと考えている。

では、「日本語で算数の文章問題を解くこと」を、いったい何のためにやるのか?

うーん、なんでだろう…。

考えた末、日本語で論理的思考をするための基礎になっているのかな?と思い至った。
っていうか、それぐらいしか思い当たらない…。
まあ文章題なんてやらなくても、本さえいろいろ読んでれば、それなりに考えたり話したり
できるようになるのかな??

10数年後、こまめがしっかり考えられるような年頃になってから、母子でどんな会話をして
いるか想像もつかない。
茶飲み話ぐらいはしているだろうが、議論めいたことをしているかどうかなんてわからない。
家庭の中だけでなく、外(=こまめにとっての社会、世間)でどの程度日本語が必要とされて
いるかもわからない。
こればっかりはその時になってみないと…。


いずれにせよ、「文章題必須」とまでは思わないから、解答の正誤にはそれほどこだわらない
けれど、いろいろな種類の日本語に触れておいてほしいとは思うので、俳句などと同じように
サラッと続けてみるかな、といったところ。
「妙な聞き方するわな~」とか茶化しながら、軽~く。
これは「コトバの問題」なのだから、こまめがわからないことにイライラしないこと!…と
心に刻んでおこう。
(そういえば、なぞなぞだって、形式に慣れない最初の頃は「???」だったもんなあ)

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