2011年7月5日火曜日

さよなら うばぐるま

二人の娘が使った三輪のベビーカーを、近々出産を控えた近所の友達のところへ届けてきた。


こまめが生まれた時に、双方の祖父母からのプレゼントとして我が家にやってきたもの。
車のベビーシートやバギー状のシートも装着できるタイプで、安定性良し、小回りも効き、
大変重宝していたのだが、最近では車に積みやすい軽量の折りたたみバギーを使うことが
ほとんどだった。近くの公園やスーパーへ買物に行く時などは、ごまめが喜ぶこともあり、
大人用の手押しハンドルのついた三輪車に乗せていたので、大きなベビーカーの出番はもう
ほとんどなかった。


ちょっとした小物なら思い出に取っておけるが、こんなに大きなものはどうしようもない。
引き継いで使ってもらえることになって本当に良かった。


…良かったのだが、なぜか妙に感傷的になっている自分に気付いた。
衣類をはじめ、とうの昔に譲ってしまったものは色々あるというのに。
数ヶ月前にあっさりと卒乳しちゃってるし、離乳食を作る道具だってもう必要ないし、おむつ
とおさらばできた日にはむしろセイセイするだろう。
脱皮するように身の回りの品も入れ替わって行く。当然の成り行きだ。
なぜ今回に限ってこうしんみりしてしまうのだろう?


きっと、このベビーカーは何かの象徴だったのだ。
さらば赤ちゃん時代、とでもいおうか。
ひたすら前へ前へ進んで行く、そのことが、眩しいような、名残惜しいような…。


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