2011年7月18日月曜日

ジレンマ

ふと、これといった理由もなくアップデートを数日間お休みしてしまった。
この週末は、特に凝ったことはしなかったものの、日々何かしら取り組みを続けていた。

土曜日。
隔週の日本語教室の日で、これまでとはちがうお宅の空き部屋で授業を受けてきた。
出席カードに押すスタンプを選べるのがいつも楽しみなようだ。

日曜日。
父と一緒に庭仕事を先に始めたため、取り組みが後回しになってしまった。
午後にとなりの市のおじいちゃん達が来る前に何かやっておこうと誘って始めてはみたものの、
「これはやりたくない」「こういうふうにはしたくない」など、あれやこれや文句を垂れるわ
母の指示を無視するわ。
こちらもたまたま普段より忍耐力が下がっていて、つい高圧的な話し方をしてしまい、しまい
には父も巻き込んだケンカのような状態に発展してしまった。
数時間後、晩の食事を済ませておじいちゃん達が帰って行った後で仲直りして、いくつか課題
をやりはしたが、ちょっと考えさせられてしまった。


現地校では、その日の課題を自分で選ぶなど、自主性を重んじる方針である。
「自分で決めて自分でこなす」癖をつけながら、自律と自立を身につけていく、そこがまさに
気に入って選んだ学校だ。
ところが、家では、与えられた課題をこなすという訓練。真逆のことをやっているわけだ。
これでいいのだろうか?

家を一歩出れば全く接することのない日本語の勉強をするのだから、文字にしろ語彙にしろ、
暗記や詰め込みが重点的になってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
それでもなるべく楽しげなとっかかりを作ろうと手探りでここまでやってきたわけであるが、
楽器の練習のように、気が乗るときも乗らない時も、「継続の力」を信じてとにかく何でも
やらせないと…と思う反面、モチベーションが下がっているタイミングで吸収できることは
少ないだろうと見切りをつけて、「これをやると決めていたから」とその日の課題に固執する
よりも、いっそ別のラクチンな活動(カルタ等のゲームをやるとか、音読を読み聞かせに変更
してみるとか)にスイッチできる柔軟さがこちらにもあればいいのに…と反省してみたり。


今日は今日で、夜、風邪で熱のあるごまめを先に寝かしつけていたら、自主的にひらがなの
書き取り練習プリント(夏の花の名まえ)を見つけて、ひとりでやっていた。
こまめのこういう健気で従順な性格に甘えているのかもしれないな、私は。

2 件のコメント:

  1. 偉いよね。ちゃんと日本語教室に行ってるんだから。
    オランダのグループ3になったらオランダ語の本読みのレベルテストみたいなのがが始まるし、補習校にも行かせなかったわ・・・。友達が週1の日本語学校に行かせるには覚悟が必要って行ってたし・・。まずどんなことがあっても休ませない。ってことは土曜日によくある誕生パーテイーにはいけないし、スポーツの試合にも行けない・・・そんな事はできないなあとあっさりギブアップをしたのでした・・・。

    オランダの学校では本当に子供たちが自分で勉強をしていく学習法だけど、家ではしつけと家庭教育なので学校と違ってもいいと思うよ。親だって人間だもん感情的にもなるわさ~

    気楽に気楽に~

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  2. >triyoshiさん
    地元の日本語教室は(日本でいうところの)幼稚園年中・年長児が対象で、
    隔週の土曜日、午前中1時間半、というユルめのものなんですよ。
    補習校で毎週確実にふさがるのは考えもんですよね…、うちも悩みました。
    まあ秋から数ヶ月、お試しのつもりでやってみます。

    「気楽に〜」、ホントそうですね☆ 
    使命感もほどほどに、「チェーンの遊び」的余裕が大事ですよね。

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