2011年7月26日火曜日

おかんは世界を救う?!

ノルウェーでの悲惨な事件のことは、当然オランダでも話題の中心となっている。
新聞ニュースのみならず、家庭でも。

父がどこかで見聞きしてきたらしく、「犯人の父親が息子に対して『おまえも死ねば良かった
のに』と言ったらしいよ」と。
「そりゃ当たり前やわ、私が親でも『死んで詫びろ』と思うに決まってる」と返した。
ステートメント(議論を巻き起こすこと)が目的だったのならば、心中するつもりでやって
しかるべき、何を自分だけのうのうと生き延びて…と思ったわけだ。
「でも、我が子にそんなこと言わざるをえないなんて、なんて悲惨な…」と父が犯人父に同情
を示したので、「親には全く責任がないか?親の影響はどの辺りまでか?」など、少し議論に
なった。

日本でも、凶悪犯罪が起こったら、犯人の過去であるとか生い立ちであるとかに注目が行く。
犯人が若ければ若いほど、いったい親はどういう躾をしたのか、という見方が生まれる。
もちろん、いくら若くとも、子の抱く思想や主義信条には親は関わりきれない。
キリスト教徒である両親の元で育って洗礼などを受けていても、青年になって敢えて抜ける
(改宗ではなく無宗教になることを何というのでしょうね?)決意をした父自身がいい例だ。

ただ、ある人が周囲の人や世界とどう対峙するかというところの一番の基礎は、幼い頃や思春
期にどう過ごしたかということが深く関わっているとも思う。
親は、子の持って生まれたものを、性格にしろ知性にしろ、持っていた以上に良くすることは
できないが、台無しにしたりひん曲げてしまうことはいくらでもできる、と自戒をこめて思う
のだ。

父は、喜怒哀楽が激しく真性のかんしゃく持ちであるごまめを例にとって、「怒りや憎しみは
誰にでもある。生まれ持った性格は親にもどうすることもできない」とも言う。
が、母である私の考えはちょっとちがう。
たしかに、心に生まれる衝動や感情は自然なもので、誰にもどうすることもできない。
ただ、その衝動や感情とどう折り合っていくかは、親がある程度導いてやることができるので
はないか、と思うのだ。
例えば、ごまめのかんしゃくの場合、「怒っちゃダメ!」と押さえつけるよりも、爆発をまず
はなだめて落ち着かせ(怒りを包み込んで溶かすイメージ)、通常モードに戻すように手伝う
とか、爆発がきそうだなと思ったらちょっと気をそらせるとか、そういう小さなこと。

同じく天然のかんしゃく持ちである父なのだが(父のお父さんもそうなので、もう完全に血筋)、
幸いにもお母さんが聖母さまのように穏やかで心の寛い方だったので、「そのおかげで社会で
まともに機能するまっとうな大人になれたんとちゃうの」と言ったところで「なんやそら」と
なり、時間切れ(出勤!)でもあったのでこの話はおしまいになったのだった。



今の自分自身を振り返ってみても、悪いところのすべてが親のせいだとは思わないが、明らか
に家庭環境の悪影響を受けているなあと思われる点もある。
自分も親として子らに満点の環境を提供できているとはとてもじゃないけど思えず、日々反省
の連続ではあるものの、人ひとり育て上げることの責任の重大さにばかり目を向けていては、
背負いきれないとも思う。

私の場合、ガチガチの理想像にしばられたり、よくできた(ように見える)他人と比較しては
落ち込んだりしてしまいがちだったのだが、ある時を境に少し楽になった。
それは、「おかん」というキーワードに気付いた時だった。

「お母様」でも「ママ」でもなく、「おかん」。
ちょっとだらしがなかったりどこか抜けていたりして褒められたものではないんだけれど、
どこか憎めない。それどころか、おかんあってのその家庭、という存在感のある母親像。
マンガでいうなら、「ののちゃん」のお母さんのような感じで、若干の奇人風味もあるような。
要するに、まともであることを屁とも思わない、とってもまともな変な人、というイメージ。

「ま、なんとかなるかいな」という自分にも他人にも寛容な態度は、子育てしていると絶対に
必要だな、と、ついついこまめに小言を浴びせてしまう度に思う。
袋小路のどん詰まりみたいな社会にあって、日々をできるだけ健やかに過ごしていくためにも、
こうあらねばならないというガチガチの縛りに陥らぬよう「ちょっとだらしないおかんモード」
を常に意識しておくことは、個人的には「太陽のように広くあったかいおっかさん像」よりも
効き目があると思っている。だって、そんなまともな人、なられへんって。無理無理。



【追記】

テロにはより強固な民主主義とより大きな寛容性で報復する」ノルウェー首相


このメッセージには身震いした。
まさに、ごまめのかんしゃく玉大爆発に対峙する母の態度と同じではないか。
それをこのように複雑で深刻な社会問題に対峙する基本態度として毅然と取り続ける、と
宣言できるとは……!

2 件のコメント:

  1. 亡くなった人の中には若い方もたくさんいて最年少は14歳の少年とニュースを見て、同じ親の立場として悔しいだろうなあと思いました。

    私は「人に迷惑をかけない」「自分がされて嫌な事は人にしない」これを基本に躾をしてきました。

    私も子供時代の家庭教育が大切だと思っています。
    完璧なんてありえないんだから気楽に楽しく笑って過ごせればいいじゃないかと・・・。

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  2. >triyoshiさん
    「人に迷惑をかけない」というのが非常に日本的ですね。
    自他や公私の線引きが、オランダ社会ではちがうなあと折あるごとに
    感じます。ギョッとさせられることもあれば、かえって肩肘張らずに
    済んで力が抜けることも…。

    移民問題の複雑さ(非寛容な異文化に浸食される側のとまどいやおののき
    など)も、日本にいては決してわからなかったことでした。

    犯人の生い立ち、なかなか複雑なようですね。
    「フェミニズムと性の革命の二次的影響で、僕の家族は初めから崩壊して
    いた」と自分で記していたそうで、相当な屈折ぶりです…。

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