2011年9月17日土曜日

内なる欲求と外の世界の要求

雨模様の土曜日。
ごまめが風邪をひいたようだったので、補習校の送迎ついでの散策は今日はナシにして、
父とごまめでお留守番。

珍しくこまめとふたりっきりの車中、ごまめがいないので落ち着いて雑談しながら行く。
普段の登校時に考えるのは『Buurman en Buurman』(チェコアニメ『パットとマット』)
ことと、亡くなったオランダのおばあちゃんのことなの、と突然打ち明けてくれた。
脱力系お笑いアニメ&天国のおばあちゃん(実際に会った記憶はない)…という組み合わせ
なんともカオスでよろしい。

しりとりもした。
母「まど」 こまめ「…どろぶね!」
渋いですなあ。

泥舟<カチカチ山しかり、日本の昔話が好きなこまめ。
古典だけあって、ストーリーがしっかりしているからかな?読み聞かせでもよくリクエスト
してくる。最近のお気に入りは『したきりすずめ』に『かにむかし』。
恩返しとか、仇討ちとか、因果応報な展開に惹き付けられるのかもしれない。
「打出の小槌」みたいなスーパーアイテムも夢があるしね。

冷たい雨の降る日の軽い昼食は、森のはずれの喫茶店で、オニオングラタンスープ。


ところで、こまめ曰く、
プリクラスの子全員が(!)宿題がちょっと重荷で、何かしら身体の不調(具体的には頭痛や
肩こりなど)を訴えているそうな。ホンマかいな?!

こまめも宿題に取り組むのはあまり乗り気ではないようだ。
座ってひらがなのお稽古をする習慣は既にできていたので、それと何がちがうのかなー?と
考えてみた。
おそらく、あの問答無用の強制感が受け入れがたいのだろうな。

母としてもその気持ちはわかる。
これまでは、母も「一緒に取り組む」つもりで、何かしら教材を作ったり、少なくとも無料の
教材をダウンロードしてプリントアウトする程度の手間はかけていた。
あるタイプの教材をやりたくない日は、別のタイプの取り組みをする、という柔軟な対応も
できた。
ところが今は「学校でこれをやれっていうことになってるから、やろうね」だ。
それではいまひとつ説得力に欠ける。
「なんでやらなあかんの?」と聞かれても、自分の用意したものでないだけに、母自身が納得
のできる答えを持っているわけではない。

自分が主導権を握ってないことに多大なエネルギーを注がないといけないというのはたしかに
苦痛だろう。
こまめの通う現地校(モンテッソーリ小学校)では「自分で選び、自力で遂行する」ことに
重きが置かれているので、その差は尚更だ。

文字の習得なんて、あくまでもツールなんだから、受験勉強同様しのごのいわずにとにかく
やってしまうにこしたことはない…という見方もあるかもしれない。
これまでの取り組みが母のお仕着せでなかったとも言い切れない。
「5歳の子には荷が重いんじゃないの〜?」という父の意見もチクッとささる。

こまめは、そして私はどこをめざしているのか?
自分達のペースで学ぶことと、集団生活で得られるものを計りにかけるような気持ち。

実際のところ、学校生活そのものは楽しんでいて、日本社会という点でもかなりインスパイア
されているようで、最近「日本に行きたい」「早く行きたい」「次のお休みには行ける?」と
繰り返し言うようになった。
かわゆいやつめ…と、そのことに目を細める反面、そうなったらなったで今度はオランダ社会
にもしっかり根付いてもらいたい…と天の邪鬼のような欲張りな気持ちが生まれてくる。
まったく勝手なものだな、親心というのは。

いろいろひっくるめて、この葛藤を大事にしなければ、と思う。
近道も正解もないだろうから。

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