2011年1月29日土曜日

ガラスのやじろべえ

かれこれ15年ほど前、まだ日本にいた頃のこと。

当時住んでいた街に、たまたまオランダ人の奥さんがいた。
その人と、知人を通じて知り合った。
なんとなくオランダ語に興味があったので、週に1回、英語でオランダ語を教わることになった。
彼女の自宅で、紅茶を飲みながら、オランダ語の絵本や彼女が定期購読していた主婦向けの雑誌
などを題材に文法や語彙を習いつつ、今のオランダのいろいろな面について知るのは楽しかった。

ある時、彼女の二人いる娘さんのうち、当時小学2年生だった下の子の学校の勉強を見てほしい、
と頼まれた。
地域の公立小学校に通っていたのだが、どうも国語力が弱そうとのことで、そのせいで算数の
文章題などでもつまづいているようだった。
お母さんが手伝おうとしても、つい感情的になって衝突したりしてなかなかうまくいかない。
おまめさんにお願いしてみたいのだけれど…と。
お父さんは日本人で、家庭での会話は父子間は日本語、母子間はオランダ語、父母間は英語。
現地語すなわち日本語担当のお父さんは平日は当然仕事で、日中家庭にいるお母さんは、日本語の
会話には不自由しないが読み書きはできなかった。
不思議なことに、同じような条件の上の子はさして問題もなく、むしろ優等生のようだった。

快く引き受け、その後5年ほどの間、最初の1時間はお母さんと私のオランダ語、次の1時間は
娘さんと私の日本語、という交換レッスンをすることに相成った。
私自身は日本語教育の専門家でも何でもなかったが、当時児童絵画教室の講師をしていて子ども
とのやりとりには慣れていたし、小学校レベルの勉強を見るくらいお易い御用、と気楽に始めた
のだった。

内容はといえば、まず雑談。
後から考えたら、これが一番大事だったように思う。
学校での出来事や気になっていることなどあれやこれや好きなようにしゃべらせて、ひたすら
「ふん、ふん」「あ、そっかー」「へー!」など相づちをうちながら耳を傾ける。
確かにどこかしらつたないところのある日本語だったが、特に修正などもせずに、とにかく
聞き役に徹した。

そんなことを半時間ほどしてからやっと宿題に手を付ける。
始めた当初の2年生の頃はかけ算の九九を覚えている真っ最中。暗記の手助けをしたり、
通信講座の冊子や添削課題を一緒にやったりした。
時々、絵本を持って行って読み聞かせをしたりもした。
元々絵本好きだったので、自分で持っていたものやら図書館で借りたものやらを持参した。
基本的に取り組みの内容はあちら任せで、その日にやらねばならないこと・やりたいことを
娘さんから聞き出して、それに力を貸す、という形だった。

とにかく楽しい時間で、家族以外の第三者という立場ゆえの気楽さもあったのだろう、うちとけて
あれやこれや話してくれるのは実にうれしいものだった。
不安げなところもありながら、天真爛漫でもあり、素直で、なかなか面白い子だった。

お母さんによると、学校の成績もその後順調に上向きになったとのことで、私の留学云々で
交換レッスンをストップしてからみるみる成績が落ちてしまったと聞いた時は、自分のサポートが
無駄ではなかったと思えた反面、残念でもあり、複雑な気分だった。

めぐりめぐってオランダで子育てをすることになり、今度は自分が逆の立場に立っている。
あの娘さんに自分の子らの相手をしてもらえたらどんなに心強かったろう。
彼女は今、東京でモデル業などして暮らしているので、願ったところで到底無理なのだけれど。
高校時代にはお母さんと一緒に英語圏に移住したりもしたので、現在お母さんと話す時は、
オランダ語・英語・日本語を使っているそうだ。
うれしいことに、モデルとはいえ、自意識過剰のにおいをプンプンまき散らすタイプではなく、
中から光る石のような控えめさで、深い色の花がそっと開くように、美しく魅力的に成長して
くれた。子どもの頃と変わらない、透き通ったガラスのやじろべえのような一面を保ちながら。

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