2011年3月14日月曜日

「そこにいる」いうこと

日本に遅れること8時間、週が明け、平日が始まった。

霧深い朝。木瓜の花が咲き始めていた。


この週末はインターネットにへばりつき、メールやニュース、ツイッター等に目を通すことに
明け暮れた。家族や友人の無事が確認できたのは良かったが、自分の身の回りのことがかなり
ほったらかしだった。

そんな中、『遠くからでもできること、すべきでないこと』(Gigazine 3月13日付)という記事
を読んだ。
「自分の行動は本当に『役に立つ人』の邪魔になっていないか?と想像力を働かせる」
「情報を拡散させる前に一呼吸し『本当に広める必要がある情報か』を見極めたい」など、
被災地どころか祖国からこれだけ離れた所にいる自分にも当てはまることが書かれてあった。

風が吹けば桶屋がもうかる式の影響があるかもしれないので、「離れていても行動を慎め」と
いう考え方がある一方で、娯楽も含めていつも通りの生産消費活動にいそしむことが復興支援
につながるという考え方もある。
「何もしない勇気」という捉え方もある。

ツイッターにはこんなつぶやきもあった。

   罪悪感にかられて日々を疎かにしないでください。
   不謹慎という言葉を恐れて人を笑顔にするのを忘れないでください。
   どんな仕事であれいつもと同じ事を淡々と続ける事が日本の力になります。

   戦いは長期戦です。
   自分の立ち位置で自分のできる事を自分のペースでやりましょう。
   それが何よりの貢献です。                 (為末大


日本国内でも、今日の段階ではスポーツの試合は開催されていたようだし、あんな下らない
スキャンダル「海老蔵事件」の公判もあったし、それぞれの現場では真剣に働いて本分を発揮
している人がいて、現実社会をまわしていると想像する。
その真剣さは、今暴走する原子力発電所を停めようと命を賭けて働いてくれている人のそれと、
単純に比較できるものではないのではないか。

被災地の病院で、地震の翌朝出産された方もいる。
彼女は、他人を助けることはできないが、ひとつの命を無事この世に産み出すという偉大な
仕事を成し遂げた。
渾身の力を振り絞る彼女の周りには、持てる力を尽くして彼女を支える人がいた。
この新しい命と、そして被災地以外で産まれた赤ちゃんの命には、同じ重みがある。
できる場所でできる人ができることをする、というのはとても大事なことだと、私なりに思う。


さて、自分の身を振り返る。
家族が巻き込まれたわけでもないのに、家事育児がかなり疎かになってしまった数日間。
これではいけない。
まずは自分の一番身近な基盤をいつも通りにまわらせ続けること。
我が子に明るく暖かい環境を提供し続けること。
これを忘れて何が支援か。放ったらかしてゴメンよ…。


時々読むホロスコープの今週の記事が、今の自分の状況をぴったり言い当てたようだった。
同じ星座でない人のなぐさめにもなるかもしれないと思い、ここにそのままコピーしておく。

   自分は何も悪くないのに
   罪悪感を感じてしまうことがあります。
   もっとできるはずなのに
   もっとなにかしてあげたいのに、できない。
   そういうとき、
   自分が「悪い」のだ、と感じてしまうことがあります。

   今の貴方は、
   自分ができること、しなければならないことを
   精一杯やっていると思うのです。
   「これだけやれば合格」という範囲をぐっと超えて、
   色々な役目を果たしています。
   たとえば、
   「そこにいる」ということだけで
   素晴らしい役目を果たせている場合もあるのです。
   「いる」ということだけで、誰かの心を安心させたり、
   不安をやわらげたりすることができる場合があるのです。

   貴方は元々、そういう力の強い人です。
   生まれながらに、人を安心させるリズムを、
   貴方は持っている人です。
                  (筋トレ『今週の空模様』(石井ゆかり)より)


家族を安心させなければ!
普通に笑っててもいいんだ。
笑えるということのありがたさをかみしめつつ。

まずはいつも通りのルーチンをひとつずつ。
ひとつひとつの「当たり前」の重み…。

本当に、一日、いや一刻も早く、被災地とその周辺で怖い思いをしている人達に「当たり前」
の日々が戻ってくることを願わずにはおれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿