2011年5月4日水曜日

戦争が終わった日

抜けるような青空の日が続いている。
夕方、買物がてら近所の散歩にこまめ&ごまめと出かけた。
三輪車のごまめはもちろんのこと、いつもは通らない道を歩くこまめもご機嫌。

ふと見ると、家々の軒先に半旗が下がっていた。
あれー何だっけ、と思ったら、戦没者追悼記念日だった。
「オランダのはた〜」と陽気に言うこまめに、半旗であることとその目的を教えようと思った
のだが、戦争という概念がないのにどうしたもんか…と悩み、後で家で説明することにした。
オランダのおじいちゃんがまだ子どもだった頃、世界中でものすごく沢山の人が亡くなって、
その人たちがみんなゆっくり眠れますように…っていう印なの、ということだけを伝えた。

オランダでは、5月5日が解放記念日、すなわち終戦の日で、その前日にアムステルダムで毎年
慰霊の式典が執り行われる。
おまめの家では、テレビ中継を見ながら夜8時に黙祷する。
式の様子を見ながら、戦争についてかいつまんで説明してみた。
あの頃、世界中で大人達がとても大きなケンカをして、沢山の人が亡くなった、と。
男の人だけじゃなく、子どもも、お母さんも、おじいさんもおばあさんも、沢山沢山。
家もお店も学校も、沢山壊されてしまったと。
日本とオランダもケンカしていたから、遊びに行ったりできなかったと思うよ、と言うと、目を
丸くして驚いていた。
ケンカしたらあかんねえ、という5歳のまっすぐな心には、どんな「正義」も言い訳でしかない。

テレビを見ながら感じたこと。
きっと毎年こうやって繰り返すことで、こまめとごまめにとっての終戦記念日は、この5月の
初めの爽やかな空気と教会の鐘の音と共に記憶されるのだろう。
献花式や詩の朗読など眺めつつ、どこかよそごとのようにも思える自分がいる。
それはきっと、自分にとっての終戦記念日が、あの暑い盛りの、6日9日に続くサイレンと共に
刻み込まれているからだ。
蝉時雨、甲子園で黙祷する高校球児、照りつける太陽…。

オランダは連合軍によりドイツから解放されたので、5日の終戦記念日はお祝いだ。
そんなところにも「他人事」「しっくり来ない感じ」の理由があるのだろう。

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