2011年2月10日木曜日

お国言葉

少し前の記事に、母の読み聞かせは関西風味、と書いた。
こまめがまだ小さかった頃から、家の中でも外でも、母の話す日本語は関西弁である。

コテコテの大阪人で他のイントネーションが話せないというわけではない。
京都寄りの大阪弁の他には、和歌山弁、遠州弁、そして標準語のマルチリンガル(←と言っても
いいのか?笑)である。
赤ちゃんだったこまめに話しかけるのに一番自然で感情を込められるのがたまたま関西弁だった、
というのがそもそもの始まり。
それから、日本にいるおまめの両親とこまめ&ごまめをつなぐ糸としても、日本語とはすなわち
関西弁でなければならなかった。関西弁が理解できなければ、祖父母とコミュニケーションが
できないからである。

つなぐ糸をもっとずっと長くして言い換えるならば、それは「ルーツ、アイデンティティの一部」
いうことになるだろう。
こまめ&ごまめのルーツは他でもない、関西にあるのだから。
(具体的には北摂、更にその先は和歌山)

あとは、母の個人的な嗜好で「方言しゃべれる外国人(またはハーフの人)ってチャーミング☆」
いうのがある。外国人に限らず、日本人でも方言の匂いのする話し方には魅力を感じる。
これはもうまったく好みの問題で、関西弁でなくても何弁でもいいのだ。江戸弁も立派な方言。
単純にその方が「血の通った」「温度のある」ことばのような気がするからである。
気のせいかもしれない。が、そう感じるのである。


かように、こまめの耳から入ってくる日本語の大部分は母の話す関西弁である。
それとせめぎあうのが、子ども番組のDVDなどで話される標準語。
語彙をどんどん吸収させてくれるのは重宝だし、標準語という誰が聞いてもわかる日本語を身に
つけるのはとても大事なことなのだが、一方で少しやっかいでもある。
ちょっとした一言、例えば「待って〜」などというフレーズが、時たまテレビ風に出てくる。
関西人の日常会話からすると「さぶいぼ立つ」ような出来事である。そこで反射的にアクセントを
修正する母は、意固地だろうか?


それから、方言とはいえ、関西弁、その中でも大阪弁は、お笑いブームなどのおかげもあって
今や全国的に認知されることばであると思う。
「おかん(母)」「ツレ(友達)」「ヨメ(妻)」など、ごくごく普通に通じてしまうと思う。
「ほかす(捨てる)」「直す(しまう)」などもわかってもらえるか。
一方、認知度が低く言い回しが標準語とはガラッと異なる方言を話す地方出身の方々は、日本語
教育の上でどうされているのだろう?


更に、お国言葉とは別に、男言葉女言葉というのも日本語にはあるなあ、と思い出すきっかけに
なったエピソードある。

フランスの知人は日系2世なのだが、お母様が随分と上品な日本語を話される方だったようだ。
彼は、そのお母様に日本語を教わったので、日本語がセミネイティブというくらいには話せる。
ところが、その日本語が現代の男性の話すものではなく、ひと昔前の女性の言葉だと、日本に
行って初めて気付かされたという。今や誰も使わないような奥ゆかしく美しい言葉遣いに、今時の
日本人がビックリしたというのである。
(具体例は知らないが、おそらく「〜されますの?」とかそういった感じだと思う)

当時は今のようにインターネットもなかったし、国際電話も桁違いに高かっただろうから、「日本
今」を同時進行で受け取ることなど不可能だったにちがいない。それゆえに「ことばの保存」
という現象が起こったのだろう。

現在進行形で日本の情報に触れたり対話したりすることの可能な現代でも、普段家庭であまり耳に
することのない言葉はなかなか身に付きにくい。
幸いこまめもごまめも母と同性なので、母のコピーで結構、特に改めて「男の子言葉」を教える
必要はない。(幸い、というのは、その分手が抜ける、というくらいの不精な意味合いです)
ここにいては、関西弁と標準語の両立でアップアップ、十分手いっぱいだから。

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