2011年2月6日日曜日

モンテッソーリ

こまめの通う小学校は、オランダのモンテッソーリ小学校である。

4歳に始まる小学校が自由に選べる、ということで、こまめが2歳半の頃にリサーチを開始した。
歩いて5分の所にあるニュートラルな公立小学校は、知人の評判もイマイチで、教育監査庁
公開レポートも要観察ということだった。パッと見た施設の印象もあまり良くなかったので、
それなら…と、市内全域に視野を広げてみることにした。
我が家は無宗教なので、キリスト教は教養としては知っておいたらいいと思うが、初等教育の
背景となる世界観としてはどうか、と思ったので却下。
いろいろある教育法の中で目をひいたのがモンテッソーリだった。

モンテッソーリ教育については、ウィキペディアによると以下のような定義がなされている。

  20世紀はじめにマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
  イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは、知的障害児へ
  感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児
  を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。

何が独特かというと、まずその理念。子どもの中の自発性に重きがおかれている。

  どの子どもにもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人は
  この知的好奇心が自発的に現れるよう、子どもに「自由な環境」を提供することを重要視
  した。
  また、子どもを観察するうち、月齢、年齢ごとに子ども達の興味の対象がつぎつぎ移り
  変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期
  があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。
  モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子ども達
  の「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである

そして、その理念を実現するに当たって使われるのが、独特の「教具」。

  教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。
  これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが
  開発した。
  モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、
  子ども達の繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。
  また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具
  を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。

このようなモンテッソーリ独自の環境と、3年齢共存のクラス編制にも魅力を感じた。
現在こまめが在籍している低学年クラスには、4〜6歳児がいる。まずは一番おちびさんとして
入り、いつかはお世話を焼く側に立つというお膳立ては、当時まだ一人っ子だったこまめには
豊かな社会性を育てる上でとても重要になると確信したのだ。

さて、そうして家から通えそうな所にあった2つのモンテッソーリ小学校に見学に行き、実際に
その「教具」を手に取って試してみることができた。
なるほど、緻密な知育玩具といった感じで、面白い。(画像
こんな風に世界の成り立ちの基礎が学べるのなら、私ももう一回小学校からやり直したい(笑)
と思うくらい、その魅力にとりつかれてしまったのだった。
幸い父も同意見だったので、2つの学校のうち、バイリンガル或は多文化背景を持つ子らとの
経験が多く、そして体育館などの施設も充実している方の学校に決めた。

実際に通い始め、はじめの頃は遊んでばかりだったようだが、考えてみれば幼稚園の時期なの
だから、それも必要と気にしなかった。
ここ半年ほどで課題にも精を出すようになったようで、時々放課後に見せてくれる作品は多彩だ。
「100ボード」という1から100まで書かれたコマを順々に並べる盤などの「いかにも算数の
基礎になっているな」というものから、指先を使ったお仕事を重んじるモンテッソーリならでは
の刺繍作品まである。
そういった課題を「全員一緒に、さあやりましょう」ではなく、各自の選択で好きな順番にやる。
順序は様々でも、ひととおりどのタイプの課題もまんべんなく手がけるよう、先生がチェック
してくれている。

考えてみたらすごいことである。担任の先生一人につき生徒は25〜30人ほどいるのである。
もちろん、このような自由課題の時間だけでなく、全員で取り組む授業もある。
最近では、「五感」というテーマに合わせて、目の見えない人が来て点字や盲導犬について
話してくれたり、耳の聴こえない人が来て手話を教えてくれたりしたそうだ。

生徒各自の興味とペースに合わせた授業というのは、非常に魅力的である反面、やはり相性
というのもあるようで、合わない子も中にはいるらしい。例えば、自分から率先して選んで
行くことのできない子、あれやこれやお膳立てしてもらってガンガン詰め込まれる方が性に
合っている子、など。(そういった子にこそ自立と自律を促す教育法が必要にも思えるが)
公立学校としての基準を満たすためには、ある程度反復練習のようなことも欠かせないので、
そのバランスが難しいのだとも聞いた。

我が家での日本語学習の取り組みは、時間をかけてとはいえ、大量の文字暗記を前提として
おり、ややもするとドリルなどを使用した詰め込みに偏りかねない。
少なくとも学校生活では上記のような活動をしてきているので、程々にバランスが取れて
良いかな、とも思いつつ、やはり家でもできるだけ柔軟な思いつきを混ぜて、遊びの要素、
楽しいワークショップのような側面も盛り込みたいと思っている。モンテッソーリメソッド
という長年の蓄積に裏付けされた素晴らしいお手本もあるのだから。

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